2021年8月21日のブックマーク (2件)

  • 小田急線刺傷事件を「フェミサイド」と結論づけるのが極めて危険な理由 事件の「背景」を覆い隠してしまう

    8月6日、東京都世田谷区を走行中の小田急線の電車内で刺傷事件が起きた。文筆家の御田寺圭さんは「現代社会で起きる通り魔的な事件には共通する背景がある。それは犯行に及ぶ人々が“疎外”されてきたことだ」と指摘する――。 ※編集部註:初出時、タイトルに「小田急線殺傷事件」とありましたが、「小田急線刺傷事件」の誤りでした。訂正します。(8月19日12時42分追記)

    小田急線刺傷事件を「フェミサイド」と結論づけるのが極めて危険な理由 事件の「背景」を覆い隠してしまう
    chat_le_fou
    chat_le_fou 2021/08/21
    人類補完計画みたいなこと言うてはる。
  • なぜ昭和の親たちは「たくさんの子供」を平気で育てられたのか 現代のリスク感覚では信じられない

    生きていること自体が「リスク」だ 新型コロナウイルス感染症が最も警戒された2020年の3月から5月にかけて、日人の大半は感染症という健康リスクに敏感に反応した。人々は争うようにマスクを着用し、ロックダウンが宣言されたわけでもないのに外出を自粛した。 この場合、日人の健康リスクに対する意識の高さは感染予防に寄与したことだろう。だが、リスクに対する意識の高さが必ず良い結果をもたらすとは限らない。新しい命を生むこと・育むことに関しては、まさにそのリスクに対する敏感さが仇あだになっている側面もあるのではないだろうか。 仏教では「生・老・病・死」を四苦と呼び、これらが苦の源であるとしている。老・病・死がリスクであるとするなら、そもそも生きていること、生まれてくること自体もリスクと言わざるを得ない。実際、これから述べていくように、生は現代社会におけるリスクとして、合理性をもって回避されようとしてい

    なぜ昭和の親たちは「たくさんの子供」を平気で育てられたのか 現代のリスク感覚では信じられない
    chat_le_fou
    chat_le_fou 2021/08/21
    筆者さん的には、たくさん産まれてたくさん死ぬ(もしくは殺される)ほうが「人間社会のあるべき姿だ」という感覚なのだろうか?