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先日、萱野稔人の国家論において、国境という概念が十分に理論化されていないことを指摘した(「国家・国境・領土」について)。実際、萱野の理論では、国家の構成員が移動しても国境がなくならないことの理由を説明することはできない。いっけん、高度な整合性を保っているかに見えるその議論において、なぜこのような事態が生ずるのだろうか。それを考えるにあたって、萱野の最新エントリー(「交差する領域〜<政事>の思考〜」第6回 価値判断と認識)は参考になる。 このエントリーで萱野は、自らの国家論に対する価値判断の欠如という批判に応えて、社会の分析に際しては認識と価値判断を区別し、まずは価値判断を括弧に入れて分析理論を構築すべきであるとしている。 もちろん私は、思想や理論のなかで価値判断をしてはいけない、と言いたいのではない。しかし、認識と価値判断のどちらが先行しなくてはならないのか、といえば、間違いなく認識のほう
『新・批評の事情―不良のための論壇案内』に萱野稔人が入らなかったのはニアミスだったんだろうなぁ。 酒井隆史とか矢部史郎と山の手緑らの『VOL』系論客が入っていながら、彼が入ってないのは惜しい。 何しろ一番始めに内田樹とか「ぬるい議論」(id:lelele)の<安全地帯からの駄文>(葉っぱさん)、「”オメデタイ”言説」(萱野)を量産する「叔父さん的」存在を最初に持ってくるぐらいなら、 「カネ」と「権力」、「利権」と「国家」から「労働」を捉えなおし、 参考 着々とする細工 - 「労働の現在」萱野稔人×本田由紀) 萱野稔人「交差する領域」 - 「流動化する労働力」と「新利権の構図」 『カネと暴力の系譜学 (シリーズ・道徳の系譜)』 『権力の読みかた―状況と理論』 「暴力」から「国家」を考えなおすヤツも入っていた方が100倍面白くなっただろう。永田氏の慧眼がこの「新鋭」を見落としたのが残念でならな
先日、暑さにより本書の「理論編」がアツいなどとそれこそ妄言を吐いてしまった僕の『権力の読みかた―状況と理論』の読みかたですが「状況編」も後半に来るに従ってアツい!特に「ポビュリズムと国民国家」。 あと冒頭が最高。かやのんこと萱野稔人の冒頭センスには相変わらず脱帽だぜ。北田暁大に通じるユーモアを感じる。北田くんよりも一回り以上斜め上を行ってるけどねっ(そういえば北田君と岸田君はなんか似ている……メガネかけてるだけかw岸田繁ファンの方はぜひイメージ検索してみてくださいgoogle:北田暁大+メガネ)。 そしてこのトランプの積み上げを思わせる表紙も最高だ。 帯を外すと、下に行くに従って「ピラミッド構造」が崩れていく様子がわかる。 私たちは中学校の社会の公民だかで国家の3要素について覚えさせられたはずだ。 そう「主権、領土、国民」だ。 現在の国家はこのどれもが「脱構築」されてしまった。 「国民主権
カネと暴力の系譜学 (シリーズ・道徳の系譜)作者: 萱野稔人出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2006/11/16メディア: 単行本(ソフトカバー)最近、萱野稔人という人を知ったので(http://d.hatena.ne.jp/chaturanga/20070925/p1)、『カネと暴力の系譜学』を入手して読んでみたのですが、いやあ、ほんと驚いた。この手の本を読んで、久々に[これはすごい]と思った。文章が良い。明晰で、歯切れが良くて、力強い。なにより志が高い。今日日こんな真正面から国家論をやっている人がいるとは。暴力と国家といった議論自体は昔も今もあるけれども、ここまで根本的に考え構造的に書いてあるものを読むのは初めて。まったく考えたこともないような視座から思考が飛んでくる。『仁義なき戦い』や『ゴッドファーザー』を観ていて、単なるチンピラのお話以上の崇高な何かを感じる理由が、哲学的
昼食。 またつまらぬものを読んでしまった。 情報批判論 情報社会における批判理論は可能か 作者: スコット・ラッシュ,相田敏彦出版社/メーカー: NTT出版発売日: 2006/01/23メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 1回この商品を含むブログ (14件) を見るここ2年くらいに読んだものの中でも出色。 NTT出版って こんなのばっかだなぁ...。 夕食。良書。 権力の読みかた―状況と理論 作者: 萱野稔人出版社/メーカー: 青土社発売日: 2007/07/01メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 104回この商品を含むブログ (59件) を見る勉強になった。 むつかしいことを平明な言葉で語っているし、論文集なのに(?) ちゃんと筋とおってるし、偉いですねぇ。 さて。萱野先生いわく: フーコーにとって権力とは、行為が行為を[‥]規定するときに作用する力の関係にほかならない。
「国家とはなにか」と著者は問う。人はいつも国家について語っている。が、著者のように根本的にそれを問い直す人はめったにいない。今日では国家に関して、つぎのような考えが広く浸透している。国民がそれぞれ主権者であり、国家とはそのような主体の社会契約によって形成されるガバメント(政府)にほかならない。国民が納税するのは、みずからの安全をはかり、また、公共の福祉を得るためである。著者は以上のような考えに異議を唱える。 現実には、国家がやっていることは、国民の意思とは関係がないし、国民の安全とも関係がない。たとえば、ブッシュが強行したイラク戦争は、アメリカ国民の総意ではない。それに対して、ブッシュの政策の裏に石油資本の利害が潜んでいるという見方がある。これはいわば国家を階級支配のための道具としてみる見方である。しかし、アメリカにかぎらず、国家は、国民総体の意志から、さらに、資本の意志からも自立した主体
今さらなのか分からないが萱野稔人にハマっている。 彼のブログ(萱野稔人「交差する領域」)などを読んでてなんとなく最近の東浩紀と近いものを感じていた。それは、いつかの東氏のトークイベントで福嶋亮大に指摘された「身も蓋もない話」から始めるという点においてだ。 例えば東浩紀なら「動物」「認知限界」「生殖」、萱野なら「暴力」「カネ」から考えるように。それら二人の出発点は萱野氏がまとめるように「生存」というキーワードで結び付けることもできるだろう。萱野の本を読むことで東浩紀が最近問題にしている話がまた見えやすくなった。 立ち位置や見た目では対照的にも見えるかもしれない二人だが、互いに1970年、1971年生まれと世代においてもかなり近い。萱野氏は『東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)』で東が言及したような愛知県の「荒々しい郊外」で生まれ育ったという。それらのことが二人の感性
「政治哲学の根本問題は、苟も何らかの国家がなければならないのかどうかにあり、この問題は国家がいかに組織されるべきかの問題に先行する」とロバート・ノージックは言った。それは、国家なるものの存在を与件としたうえで、その組織の仕方や機能のあり方を検討する政治哲学への異議申し立て、政治哲学の「心理学化」「社会学化」に対する警鐘であったといえる。 現実の国家状態を前提としつつ、その機能を抽出し、機能の円滑な実現を目指したり、国家をとり巻く環境と照らしあわせることによって、「よりましな」国家のあり方を模索したりするタイプの国家論。ノージックは、そうした国家論が見えにくくしている根本問題を掘り下げ、独自のリバタリアニズムを構築していった。このノージックの方法論的なラディカリズムは今なお理論的な魅力を失ってはいない。 しかし、ノージックの問題提起から三十年たった、私たちをとり巻く言説環境において、国家は奇
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