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ブックマーク / innhatrang.hatenadiary.org (7)

  • ミャンマーと思いきやアイスランドに - land and ground

    ミャンマーのサイクロン被災の件。 25日のヤンゴンの会議をうけて、各方面ともに、少しずつ動き出している模様。 私のところにも研究所と某NGOから、派遣の際の意思確認の連絡が入った。 こういうとき、ちょっと冷静に考えなくてはいけない。 世間ではあまり認識されていないので言っておくと、今回のミャンマーや、四川省の地震に限らず、こういう大規模な自然災害の直後に、外国人の医者や看護師が何人か聴診器とメスと薬箱を持って出かけたところで、それほど役に立つわけじゃない。 優先順位からすれば、生存者の救出はもちろんのこと、避難民キャンプの設営、水衛生の管理、料管理、ワクチン接種などが先で、そのなかで医療関係者の役割というのは、実際には非常に限られている。 もちろん、それでも、被災地に行って診療所を開けば、患者はやってくる。 しかし、それは当に、外国人の医者が診なければならないひとたちなのだろうか。 *

    ミャンマーと思いきやアイスランドに - land and ground
  • 柄谷行人にウナギをおごってもらった話- land and ground

    4ヶ月ほど前に、柄谷行人に会った。 今年の1月、大阪で開かれるアジア感染症フォーラムに参加するため、半年ぶりに一時帰国した。 発表を終えたその日の夜、私は関西空港の隣にあるホテル日航の部屋で、ひとり缶ビールを飲みながら、ソウルの研究所とメールでやりとりしていた。 返事を待つ間、ちょうどそのころYouTubeにアップされたばかりの柄谷行人のスタンフォード大学での講義を聴いた。 相変わらずだなあと思っているうちに、いつの間にか私は、柄谷氏に「ぜひお会いしたい」と英語でメールを送っていた。 発表が終った開放感に、酔った勢いが重なったのだろう。 翌朝、福岡に向かう新幹線のなかで、なぜあんなことをしたのかという多少の後悔の念がよぎったが、どうせ無視されるだけだろうと自分を納得させた。 夜、長崎に着き、大学病院の近くの浜口町の安ホテルでパソコンを開く。 ソウルからの大量のメールにまぎれて柄谷氏からの返

    柄谷行人にウナギをおごってもらった話- land and ground
    chaturanga
    chaturanga 2008/05/26
    人柄を伝える面白いエントリ。うまくもない生姜焼き定食を一心不乱にたべる柄谷行人、というネタが福田和也のエッセイにあったことを思い出した。たしか喧嘩の火種という本だった。
  • ■ - land and ground

    サルトル関連のウェブサイト 仏サルトル研究会 日サルトル学会 United Kingdom Society for Sartrean Studies www.sartre.org Stanford Encyclopedia of Philosophy:Jean-Paul Sartre サルトルの作品 上記の仏サルトル研究会のリンク集によくまとめられている。まだ著作がパブリックドメインとなっておらず、ネット上で読めるのは英訳されたものが中心。そのうちのいくつかを挙げる。 「実存主義はヒューマニズムである」 サルトルを一躍有名にした1946年の講演。同サイト(www.marxists.org: Jean-Paul Sartre Archive)には『弁証法的理性批判』の抄訳もある。 「ラッセル法廷」 Inaugural Statement Summary and Verdict of the

    ■ - land and ground
  • ■ - land and ground

    サルトルに関係する文献、映像で、ウェブ上で閲覧できるものを中心にアトランダムにとりあげてみる。ただし、私はフランス語ができないので、英語か日語のもののみ。 Jean-Paul Sartre: The Road to Freedom (1999) 英BBCが1999年に作製したドキュメンタリー。『人間的な、余りに人間的な』と題され、ニーチェ、ハイデガー、サルトルの生涯と思想が、再現フィルム、関係者のインタビューを交えて紹介されている。以下はサルトルの回。『サルトルの世紀』のベルナール=アンリ・レヴィも出演している*1。 『サルトル、自身を語る』 Sartre Par Lui-Même (1976) サルトルが、ボーボワールや友人たちの前で自らの人生を語る自伝映画。フランス語、英語字幕。Youtubeで閲覧できるのは前半の一部のみ。「哲学者であり、文学者であり、そして行動の人として激動の20

    ■ - land and ground
  • land and ground 「ベトナムから東浩紀に挑戦する」

    『思想地図』が出版されるようである。予告どおり、ここに完成稿を公開する。もとより勝手な「挑戦」であるから、その結果については読む方の判断にゆだねたい。 「トランスクリティークとポストモダン」 なお、これまでいささか冗長な「草稿」を公開してきたが、稿はそれとは独立した単独の論稿である。それでも、稿を読んで細かい議論に興味をもった方には、「草稿」と「『世界共和国へ』を読む」は参考になると思う。サルトルについては、あらためて時間をかけて取り組むつもりである。 また、稿の完成に先立って柄谷行人氏とお会いする機会があった。後半部分は、そのときのやりとりに着想をえて書いたものである。付記するとともに、この場を借りてあらためて柄谷氏に謝意を述べたい。 鈴木 基 ポスト・モダンな言説の「嵐」は、すでに少数の学者・批評家の範囲をこえて吹きまくっている。私自身の書いたものがその原因の一端であるといわれる

    land and ground 「ベトナムから東浩紀に挑戦する」
  • (2) - land and ground

    先日、萱野稔人の国家論において、国境という概念が十分に理論化されていないことを指摘した(「国家・国境・領土」について)。実際、萱野の理論では、国家の構成員が移動しても国境がなくならないことの理由を説明することはできない。いっけん、高度な整合性を保っているかに見えるその議論において、なぜこのような事態が生ずるのだろうか。それを考えるにあたって、萱野の最新エントリー(「交差する領域〜<政事>の思考〜」第6回 価値判断と認識)は参考になる。 このエントリーで萱野は、自らの国家論に対する価値判断の欠如という批判に応えて、社会の分析に際しては認識と価値判断を区別し、まずは価値判断を括弧に入れて分析理論を構築すべきであるとしている。 もちろん私は、思想や理論のなかで価値判断をしてはいけない、と言いたいのではない。しかし、認識と価値判断のどちらが先行しなくてはならないのか、といえば、間違いなく認識のほう

    (2) - land and ground
  • 2007-12-03

    先々月、私は、東浩紀氏と北田暁大氏が創刊する『思想地図』という新雑誌の論文公募に応募した。昨日、通知の手紙が届き、結果は不採用であった*1。 私の提出したアブストラクトは、東氏の課題(「日語で思考することの意味を問う」)に対するもので、「トランスクリティークとポストモダン」と題する柄谷行人論であった。内容は、ひとことでいえば、柄谷に代表されるところの「思考の読解としての批評」の批判である。これは、課題の問題設定   ローカルな思想かグローバルな思想かという問い   を議論の遡上に載せるもので、確かに、課題そのもの   日語で思考することの意味   に直接的に答えるものではない。その意味では、東氏がこのアブストラクトに、自らの問いへの答えを見出せなかったとしても仕方がない。しかし、私は、この課題への有意義な応答はこれしかないと考えている。なぜなら、東氏の問いは、思考そのものではなく、思考

    2007-12-03
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