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2011年3月31日のブックマーク (2件)

  • コラム:サッカーが消えた国 | Goal.com

    過ぎ去りしもの。それは「ドログバ風」のDJによるミキシングが、ビアパーラーの内外で素敵なダンスステップを生み出していた日々。西アフリカで最も安全で、一番活気があったその国は、コートジボワールと呼ばれた。 遠くに消えてしまったもの。それは、アビジャンにあるフェリックス・フフェ・ブワニ・スタジアムへ向かうバスが、カラフルでにぎやかなサッカーファンであふれていた日々。 失われしもの。それは、クラブが練習や試合に向かうために、選手たちをバンへと詰め込んでいた日々。 こうした光景は、もはやコートジボワールから失われてしまった。流れ弾に当たるどころか、どこから打たれてどこへ向かうかも分からないミサイルに、吹き飛ばされるかもしれないのだ。素晴らしいゴールを決め、ヨーロッパのビッグクラブで大金を稼ぐ自国のトッププレーヤーにまつわる噂が、かつては街中にあふれていた。だが今やそれらは、どうやって国を逃げ出すか

    chicane_rider
    chicane_rider 2011/03/31
    goal.comでこんな思い記事を読むとは・・・。
  • 此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    「此処(ここ)より下に家を建てるな」――。 東日巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」 州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛) 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。 地

    chicane_rider
    chicane_rider 2011/03/31
    姉吉のキャンプ場は無事だったのだろうか?あの凛々しい灯台も。