有島武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)は明治・大正に活躍した作家で、社会運動家で、自由恋愛論者で、話の分かる素敵なおじさまであり、3人の息子のパパだったが、彼こそが「或る女」であった。しかし悲しいことに、彼は旧士族の家の長男として生まれた。 女になるまで[編集] 有島武郎の父・武は大蔵省の官僚でありのちに実業家となった人で、自分が薩摩藩士の子であったから、自分の跡継ぎとなるべき武郎にも同じように幼いころから『論語』を読ませ、体が弱いのに弓道や乗馬の練習を強いた。その一方で「これからはアメリカ人を相手にビジネスをしなければならないのだから英語を」と教育ママみたいなことを言って5歳からアメリカ人の牧師の家に通わせて英会話を習得させた。武郎はその英語を駆使して外国の小説を読み始めることになるのだが、父が文学を軽蔑しているのでこっそりと