武田 これまでも社会の閉塞感を吸収した作品を書かれてきた桐野さんが、今回の『日没』では作家を主人公として、これまで以上にストレートにその閉塞感を直視したように感じました。執筆にあたっての動機は何だったのでしょうか。 桐野 この十年近くの傾向だと思うのですが、小説が「純文学」と「エンタメ」に二分されて、私自身も「小説家」ではなく「エンタメ作家」と呼ばれることが増えました。ただ普通の小説を書いているつもりなのに、なぜそうやって〈文化的なもの〉と〈売れるもの〉に分けられてしまうのか。「純文学」と「エンタメ」のあわいにいる小説家はたくさんいるにもかかわらず、そのあわいが取り払われていることの意味について、ずっと考えてきたんです。何かに都合がよくなっているのではないか、と。 その背後にあるのは新自由主義とグローバリズムではないかと感じたのは、アメリカで本を出版した時のことでした。『OUT』という、主