リチャード・ドーキンスとnatromの違い。 前者は政治性があるが、後者にはない。 前者には社会との関わりがあるが、後者にはない。 前者には弱者や他者に寄り添うが、後者はただの傍観者だ。
May 15, 2014 『神は妄想である』書評(昔書いたもの) (リクエストがあったので、かつて『日経サイエンス』に掲載したドーキンス『神は妄想である』書評の長いバージョンを以下に再掲します。途中[ ] でくくってあるところは字数制限のため掲載バージョンではカットした部分です。初出:『日経サイエンス』2007年9月号、110ページ) 神は妄想である―宗教との決別 [単行本]リチャード・ドーキンス早川書房2007-05-25 神について聞かれた科学者の多くは「神がいるかどうかは科学の扱う領域ではない」と答えるだろう。実際、宗教との軋轢をさけるにはうまい答え方だ。しかし本当に神は科学で扱えない問題なのだろうか。 本書でリチャード・ドーキンスはあえて一歩を踏み出し、科学的な仮説としての「神仮説」を検討する。この宇宙の事実についての主張である以上、神仮説からも 予測できることがいろいろある。そ
ベルギーのアントワープ大学(Antwerp University)から名誉学位を授与された英国の生物学者、リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)氏(2009年4月29日撮影、資料写真)。(c)AFP/BELGA/DIRK WAEM 【7月30日 AFP】生物学者であり、無神論者であることでも知られるリチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)氏は29日、幾つかの種類の性的暴行を例にした書き込みをツイッター(Twitter)に投稿したところ批判が殺到し、「ヘイト(憎悪)の津波」が押し寄せたと明らかにした。 同氏は、「(友人や知人などに性行為を強要する)デートレイプは悪いが、ナイフを突き付けて見知らぬ人物をレイプするのはさらに悪い。見知らぬ人物によるレイプがデートレイプを容認する根拠になると考えるなら消えうせろ。そして考え方を学べ」、「軽度の小児性愛は悪いが、暴力
ドーキンスを素直に好きと言う研究者ってたぶん少ないかも(研究者の枠を超えてしまっている)RT @kumikokatase: @Rsider ナカイサヤカ(@sayakatake)さんが、ドーキンスとかを好きで一緒に仕事してくれそうな進化論に詳しい学者さんを捜しているそうです。
"Deepak Chopra Interview with Richard Dawkins"に字幕付けました。量子ヒーラー ディーパック・チョプラは量子力学を比喩として使っているだけだと、あっさり白状した動画です。マイリスト: mylist/9341038 前: sm11517284 次: sm12719910
「週刊文春」2月14日号の、池澤夏樹「私の読書日記」より。最近になってドーキンスの『神は妄想である』(垂水雄二訳 早川書房)が刊行された。彼は神の不在を主張し、宗教の迷妄を攻撃し、科学の優位を宣言する。以前よりも過激で、どこか反宗教十字軍のようなところがある。最近のキリスト教とイスラム教の対立が影響したのか。 (略) ぼくは信仰を持たず科学の思考法を信頼する者であるけれど、ドーキンスほど徹底的な宗教排除には賛成できない。それでは『カラマーゾフの兄弟』が読めなくなってしまう。宗教と科学はヒトの誕生以来ずっと培われてきた根源的な文化だ。その一方を無かったことにしてはいけないだろう。 はっきり言おう、上の池澤の文章は不正確な上に愚劣である。 上の文章を読むと、ドーキンスは、科学を振りかざして宗教を撲滅しようとする狂信的な人間であるかのような印象を受けるだろう。何しろ「過激」という言葉
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