「助産師や医学協会の主張を、母親も信じていたのでしょう。わが子を亡くして、はじめて、助産師や医学協会の主張を疑ったのです」 この@natrom さんの発言に同意するはてブのひと、挙手。たぶん手はほとんど上がらないだろう。信じるも信じないも、母親は何も知らなかったと思ってるはず。
久々(いつも?)にトンデモな内容の文章を書きたくなった。同意は求めない。 ADHDやASDは狩猟採集時代には発達障害という認識はされなかったのか。 現在の社会構造に於いては、一つの処にとどまり、コツコツ作業することが苦手である。また、コミュニケーションが苦手であればそう認識されることもあるかもしれない。 定義の変化とか、そういう話題をしたいんじゃなくて、障害と認識されなかったかもしれない(?)昔に生まれていれば他の人よりも苦労しなかったのだろうか?ということ。 面倒くさいのであまり考えないで書くと。昔の方が苦労した・・・というか命を落とす可能性が高かったと思う。 ステロタイプのASD像を考えれば、集団で狩りを行う場合、場に於ける暗黙の了解を解せず、適切な行動を選択できず危険な目に遭う可能性が高いのではないだろうか。 ADHDであれば、現代よりも危険と隣り合わせの状態で、注意欠陥は本当に致命
こんなのやこんなのって。これって私たち自身なんだよね。関東大震災で起きた在日朝鮮人虐殺もなにも特別な人々によるものでなくて私たちがやったことなんだよね。 未知のものやひとに対する恐怖は誰にでもあると思うけど、実際に触れてみれば鏡に映った自分を見ていたことに気づいて肩の力は抜けるはず。わたしが「在日」という言葉を耳にするたびに故障したバイクを前に気の弱そうな微笑みを浮かべるバイク仲間や酔っぱらって珍妙な踊りを踊って周りを陽気にさせてくれる友達の嫁はんとかの顔を思い浮かべずにはいられないように。吹き上がるのもいいけど在日アジア人=スネークヘッドの組織の一員みたいな脳内イメージはちょっと置いといて鶴橋あたりに美味い韓国料理でも食べにいけばどうかな。 でエントリタイトルの「恨五百年」ですが。 わたくし朝鮮半島の音楽にはさして興味無かったのですがある時チョーヨンピルの歌うこの朝鮮民謡を聞いて衝撃を受
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