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ブックマーク / number.bunshun.jp (6)

  • バスケ躍進の“重要人物”ホーキンソンの激動人生…155キロ投げた野球を断念、ホームシックに「まずいな…」父が語る“日本国籍を取得する”まで(和田隆文)

    バスケットボール男子日本代表の一員として、ワールドカップ(W杯)で躍動したジョシュ・ホーキンソン、28歳。大学卒業後に米国西部シアトルから名古屋へ渡り、Bリーグで長くプレー。日国籍も取得した。その活躍ぶりから、「当にこの男が、ニッポンにいてよかった!」とTV実況も叫んだホーキンソンとは何者なのか。父ネルズさんが明かした。 ジョシュ・ホーキンソンは約束の時間に遅れない。17歳の高校生だったある日曜日、教会へ行き、事をして用事を済ませた後、午後6時に家族会議を予定していたのに珍しく時間になっても姿を見せなかった。家の中を探してもいない。両親が心配して自宅の外を見てみると、野球のボールを投げながら空を見上げて泣いていた。 「野球は辞めるよ」 「バスケより野球がうまかった」 秋にサッカー、冬はバスケットボール、春には野球。ジョシュは「三刀流」の少年だった。父のネルズさんはノルウェー、母ナンシ

    バスケ躍進の“重要人物”ホーキンソンの激動人生…155キロ投げた野球を断念、ホームシックに「まずいな…」父が語る“日本国籍を取得する”まで(和田隆文)
  • チェコ史上初の「野球テレビ中継」、選手の本業は「地理教師・消防士・金融アナリスト」…WBCチェコ代表を“絶対好きになる”話(水次祥子)

    相撲、どこに行ったら見られるの? 屋根のある球場だけでなく、選手たちのほとんどは日に来ること自体が初めて。だからこそ目にするものすべてが新鮮だった。ジーマはうれしそうにこう続けた。 「日文化べ物も気に入ったよ。スシに、ラーメン。何ていう名前だっけな、あのラーメンは……。とにかく辛くておいしかった。日文化や伝統もいいね。お寺とか、細かいディテールにこだわるところとか」 ディテールとは? 「例えばレストランで、箸の置き方とかもてなしの仕方とか。何でもきちんとした決まり、約束事がある。(土俵に上がってから儀式がある)相撲もそうだよね。実はすごく相撲を見に行きたいと思っているんだ。どこに行ったら見られるの? 連れていってほしい」 そう言って人懐っこそうな笑みを浮かべた。 チームの大黒柱は「業・消防士」 チェコ代表は、昨秋にドイツで行われた予選A組(ヨーロッパ・アフリカのチームが出場

    チェコ史上初の「野球テレビ中継」、選手の本業は「地理教師・消防士・金融アナリスト」…WBCチェコ代表を“絶対好きになる”話(水次祥子)
  • 「夢なのか、現実なのか……」清原和博は甲子園決勝で何を見たか。(鈴木忠平)

    100回大会の決勝を観戦した清原和博氏。1985年夏の決勝で2塁打を放ち、PL学園を優勝に導いた日と同じ8月21日だった。 金足農業、最後の打球がライトへ上がった。白球をつかんだ大阪桐蔭の選手たちが、グラウンドの真ん中に歓喜の輪をつくる。 その瞬間、清原氏は立ち上がり、何かに引き寄せられるかのように身を乗り出した。かつてのPL学園に代わって最強の称号を手にする大阪代表校、すべてを出し切った秋田の県立校、そして拍手に包まれる甲子園球場、スタンド最上部から、それらをい入るようにじっと見つめていた。 清原氏はなぜ、甲子園へきたのか。何を求めてきたのか。 甲子園に行けたら何か変われるかも。 「甲子園に行きたいです。100回目の夏、甲子園に行けたら、何か変われるかもしれない。そう思うんです――」 清原氏から、最初にその言葉を聞いたのは去年の終わり頃だったと記憶している。 覚醒剤取締法違反で逮捕さ

    「夢なのか、現実なのか……」清原和博は甲子園決勝で何を見たか。(鈴木忠平)
  • 中田英寿が語った代表監督交代劇。「僕が考える日本らしいサッカーとは」(鈴木忠平)

    第2期を迎えたNumber Sports Business College、その最初の講師は中田英寿氏だ。サッカー日本代表を初めてのワールドカップ出場に導き、イタリア・セリエAで優勝も経験したが、引退後はサッカーの現場から離れている。現役時代から独自の道を行くカリスマがビジネスをどう語るか。固唾を呑む受講者に、冒頭から中田氏らしい言葉で答えた。 「今でもビジネスには一切、興味ないです。自分が面白いと思うことをやるために環境を整えないといけない。ビジネスもその一部なんです。サッカーをやっていた時も走るのが嫌いだったけど、走らなければ勝てないし、走れれば有利になる。ビジネスもそれと同じなんです」 引退後は多くの選手が指導者を目指すが、中田氏はプレーすることと、指導者になることは別だと考えた。そこに人生観が表れている。 「僕はずっと好きなことをやってきた人生なんです。自分が好きじゃないことは1つ

    中田英寿が語った代表監督交代劇。「僕が考える日本らしいサッカーとは」(鈴木忠平)
  • 北海はなぜガッツポーズしないのか。甲子園では珍しいスタイルの「理由」。(氏原英明)

    そつのない攻撃では決してなかった。ミスも少なくなかった。それでも、彼らは負けなかった。 北海(南北海道)が88年ぶりの甲子園ベスト4進出を果たした。彼らの戦いぶりで際立っていたのは、常にどんな時も冷静な精神状態を保つということだった。どんな試合展開になっても、試合をものにしていく強さがある。 エースでキャプテンを務める大西健斗は、こう語る。 「一喜一憂しないでプレーすること。そうすることで、試合中の物事を冷静に見られたり、プレーにつながっていると思う」 準々決勝の聖光学院(福島)戦は、初回に守備のミスから3点を失う苦しい展開だった。しかし直後に2点を返すと、じりじりと相手を追い詰めていく。流れが悪くなりそうなプレーがあっても落胆せず、目の前で起きるプレーを冷静沈着にこなしていく。そうやって、次第に流れを引き寄せていく。 ミスはある。しかし気がつくと試合をものにしている。 4回表、先頭の7番

    北海はなぜガッツポーズしないのか。甲子園では珍しいスタイルの「理由」。(氏原英明)
  • 高木豊 「“蛙の子は蛙”ではない」 ~プロ野球選手の息子3人がサッカー選手になったわけ~(安藤隆人)

    ときに励まし、ときに挑発する。俊足巧打でならした名プレイヤーは、 自身とは違う道に進んだ息子たちに対して、父親としてどう接したのか。 高木家独自の教育方針に基づいた3兄弟への三者三様のアプローチに迫る。 「野球? やらせたいなんて全くなかったね」 『蛙の子は蛙』というが、高木豊にはこの概念は存在しなかった。かつて大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、日ハムファイターズに在籍した俊足好打の名選手。大洋時代は屋鋪要、故・加藤博一両氏と共に『スーパーカートリオ』として名を馳せた。現在はプロ野球解説者として、テレビや雑誌で幅広く活躍するが、彼の3人の息子たちは今、野球界ではなく、サッカー界に身を置いている。 清水に所属する長男・俊幸(20)、東京Vに所属(6月20日にオランダ・ユトレヒトへの移籍が発表)する次男・善朗(18)、東京Vユースに所属する三男・大輔(15)。3兄弟とも、世代別日本代表に選出

    高木豊 「“蛙の子は蛙”ではない」 ~プロ野球選手の息子3人がサッカー選手になったわけ~(安藤隆人)
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