2024年5月28日のブックマーク (1件)

  • 支那の匪賊についての新聞記事を読む その3

    満州における匪賊・共匪との戦い 前回記事で昭和10年ごろに支那共産党が匪賊を取り込んで北支(現在の華北で、河北省、山西省、山東省、河南省)に移動させたことで北支の共産化が進み、一方ソ連も満州の匪賊を取り込んでいて、日軍が駐留していた満洲においても、共匪に襲われて日人の犠牲者が出た事件が何度か起きたことが新聞で報じられていることを書いた。その後満州はどのようになったのか。満州に関する記事を中心に見ていくことにする。 「神戸大学新聞記事文庫」朝鮮・台湾・満州16-18 上の画像は昭和11年3月6日の満州日日新聞だが「三月四日現在関東局調査による匪賊状況は、活動匪首三十三名、その匪数一千百七十四名、同集団数二十五名」とあり、随分匪賊が少なくなっているように読める。 しかながら匪賊というものは、捕まえられそうになれば逃げて姿をくらまし、さらに平民の姿に変身してしまえばまず捕まることはないし、安

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