2024年6月3日のブックマーク (2件)

  • 明石と周辺の古社寺等と魚の棚を訪ねて

    神社と月照寺 明石市の人丸山の頂上に柿神社(明石市人丸町1-26)と月照寺(明石市人丸町1-29)がある。明治四年(1871年)の神仏分離令により寺と神社が分離されてしまったのだが、以前は神仏習合で一体であった。 上の画像は柿神社の東鳥居である。 柿神社の御祭神は飛鳥時代の歌人で、山部赤人とともに歌聖と仰がれた柿人麻呂である。「人麻呂」は「人麿」とも書き、平安時代からは「人丸」と書かれることが多いという。 柿人麻呂が明石と縁のある人物とは、恥ずかしながら今回の旅程を立てる時に初めて知ったのだが、明石で人麻呂が詠んだ歌がいくつか残されていて、案内板には神社の由緒とともに次の二首が案内されていた。 「天離(あまざか)る 夷(ひな)の長通(ながち)ゆ 恋ひ来れば 明石の門(と)より 大和島見ゆ」 「留火(ともしび)の明石大門(あかしおおと)に入(い)る日にか 漕ぎ別れなむ家のあたり

    明石と周辺の古社寺等と魚の棚を訪ねて
  • 明石の古社寺と明石城跡を訪ねて 

    明石市を観光で訪れる人はあまり多くないと思うのだが、色々調べると結構面白そうな寺や神社などがあるので、先日散策して来た。 御厨神社 最初に訪れたのは明石市二見町東二見1323にある御厨神社(みくりやじんじゃ)。この神社の由緒は火災で記録を焼失してしまったために創建の年月などは詳らかでないが、社伝によると神功皇后が新羅遠征の時に二見浦に船を休ませて兵糧を集めたので、神名を御厨と言われるようになったそうだ。以前はもっと二見浦に近い場所(現在の君貢(きみつぎ)神社:明石市二見町東二見1)にあったのだが、長歴年間(西暦1037~1039年)に現在地に移されたという。 御厨神社 鳥居 祭神は応神天皇と菅原道真と素戔嗚尊の三神だが、『播磨鑑』には天満宮とあり、左天満天神(菅原道真) 中八幡宮(応神天王、神功皇后)右牛頭天王を三社相殿に祀る、とある。 御厨神社 社殿 上の画像は社殿だが、拝殿の壁には古い

    明石の古社寺と明石城跡を訪ねて