柿本神社と月照寺 明石市の人丸山の頂上に柿本神社(明石市人丸町1-26)と月照寺(明石市人丸町1-29)がある。明治四年(1871年)の神仏分離令により寺と神社が分離されてしまったのだが、以前は神仏習合で一体であった。 上の画像は柿本神社の東鳥居である。 柿本神社の御祭神は飛鳥時代の歌人で、山部赤人とともに歌聖と仰がれた柿本人麻呂である。「人麻呂」は「人麿」とも書き、平安時代からは「人丸」と書かれることが多いという。 柿本人麻呂が明石と縁のある人物とは、恥ずかしながら今回の旅程を立てる時に初めて知ったのだが、明石で人麻呂が詠んだ歌がいくつか残されていて、案内板には神社の由緒とともに次の二首が案内されていた。 「天離(あまざか)る 夷(ひな)の長通(ながち)ゆ 恋ひ来れば 明石の門(と)より 大和島見ゆ」 「留火(ともしび)の明石大門(あかしおおと)に入(い)る日にか 漕ぎ別れなむ家のあたり
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