ドイツの首都ベルリンの公有地に、慰安婦を象徴する少女像が建てられ、除幕式が行われたのは2020年9月のことだった。日本側の反発を受けて地元の区当局はいったん撤去を検討したが、韓国系市民団体などの設置継続を求める声に押され、当初の予定通り1年の期限付きで残ることが決まった。日本で強い反発を受ける少女像が、ドイツでは受け入れられたということか。そうだとすれば、なぜなのか。答えを探るうちに、戦後補償問題において世界的に「優等生」と目されるドイツで、まだ十分に議論されていない問題が浮上してきた。 意外に知られていないドイツの負の歴史 少女像が建てられたのはベルリン市のミッテ区。中心部に位置しながら、観光名所のブランデンブルク門などからは少し離れた静かな住宅街だ。近所に住む私は20年10月以降、何度か現場に足を運んだ。この問題について、どう考えたらいいのかと気になっていたからだ。 像を見ると、正直な
![少女像はドイツで受け入れられたのか 疑問の先に見えてきたもの | 拝啓 ベルリンより | 念佛明奈 | 毎日新聞「政治プレミア」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/3abebecbb63912194e8cf98a7eac5940f0600b17/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2021%2F03%2F29%2F20210329pol00m010001000p%2F0c10.jpg%3F1)