「まさに日本書紀の記述通りだ」。明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(7世紀後半)に接して新たに見つかった越塚御門(こしつかごもん)古墳。9日の村教委の発表を受け、被葬者は、牽牛子塚古墳が斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)、越塚御門古墳が孫の大田皇女(おおたのひめみこ)と確定したとする声が専門家から相次いだ。飛鳥時代の歴史に新たな光を当てる成果に、注目が集まりそうだ。 村文化財顧問の木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「日本書紀の記述通りで、疑いようがない。牽牛子塚古墳にとどまらず、他の飛鳥時代の古墳の被葬者像や、飛鳥の歴史全体を考える定点となる」と調査成果の意義を強調する。 越塚御門古墳の石室は、同村にある「飛鳥の謎の石造物」の一つとされる鬼ノ俎(まないた)・雪隠(せっちん)古墳と同型だった。猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(同)は、斉明天皇が同古墳から牽牛子塚古墳に改葬された
宮内庁と広陵町教育委員会は12日、同町にある大型前方後円墳・新木山(にきやま)古墳(5世紀前半、全長約200メートル)の発掘現場を歴史・考古系の研究者38人と報道陣に公開した。天皇や皇族の墓の可能性がある陵墓参考地の古墳を宮内庁と地元自治体が同時に調査するのは、2008年の百舌鳥(もず)御廟山(ごびょうやま)古墳(堺市北区)に次ぎ2例目。宮内庁の発掘は陵墓などの維持・管理が主目的で、その宮内庁と自治体の同時発掘がさきがけとなり、学術調査のための共同発掘に進めば、古代史の解明は大いに進むだろう。 この日、発掘現場を見学した研究者は歴史・考古系15学会の38人。宮内庁の担当者から12カ所のトレンチごとに説明を受けた。このうち3カ所の延長上の周濠部を同町教委がトレンチ調査した。 新木山古墳は大小の古墳が密集している北葛城地方の馬見古墳群の中でも、近くの巣山古墳(全長約220メートル)とともに中心
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