「まさに日本書紀の記述通りだ」。明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(7世紀後半)に接して新たに見つかった越塚御門(こしつかごもん)古墳。9日の村教委の発表を受け、被葬者は、牽牛子塚古墳が斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)、越塚御門古墳が孫の大田皇女(おおたのひめみこ)と確定したとする声が専門家から相次いだ。飛鳥時代の歴史に新たな光を当てる成果に、注目が集まりそうだ。 村文化財顧問の木下正史・東京学芸大名誉教授(考古学)は「日本書紀の記述通りで、疑いようがない。牽牛子塚古墳にとどまらず、他の飛鳥時代の古墳の被葬者像や、飛鳥の歴史全体を考える定点となる」と調査成果の意義を強調する。 越塚御門古墳の石室は、同村にある「飛鳥の謎の石造物」の一つとされる鬼ノ俎(まないた)・雪隠(せっちん)古墳と同型だった。猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(同)は、斉明天皇が同古墳から牽牛子塚古墳に改葬された
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