薬師寺(奈良市)所蔵で、江戸時代の仏像と伝わっていた木造十一面観音菩薩像(像高53センチ)が、実際は約千年前の平安時代の聖観音(しょうかんのん)菩薩像だったことが分かり14日、同寺が発表した。修復のため仏像に貼られた和紙をはがした結果、江戸時代に改造されていたことが判明。同寺は「リニューアルして逆に古くなりました」と驚いている。 同寺によると、この仏像は、和紙を貼り彩色を施す江戸時代の技法が使われていたことから当時の十一面観音菩薩像とされていた。同寺の大宝蔵殿で保管していたが、両腕がなくなり鼻が欠けるなど傷みが激しくなり、修復と調査を「矢野造形技法研究所」(京都府木津川市)に依頼した。 ところが、同研究所が和紙をはがして調べた結果、ヒノキ材の一木彫で全体の造形から平安時代中期の仏像と判明。さらに奈良国立博物館文化財保存修理所(奈良市)の平成20年4月からの調査で、仏像の頭頂部が切断され、江
奈良・薬師寺は1日、寺所蔵の大般若経(だいはんにゃきょう)47冊が、奈良時代に書写された経巻を再構成した「永恩経(えいおんきょう)」の一部とわかったと発表した。元は巻物だったが、江戸時代に折り本に仕立て直されたらしく、これまで江戸時代の経本とされていた。永恩経は約40巻しか見つかっておらず、重要文化財級の発見という。 永恩(1167〜?)は鎌倉時代を生きた奈良・興福寺の僧で、奈良〜平安期の経巻を集めて大般若経全600巻の再構成に取り組んだ。永恩経の大半は散逸し、京都国立博物館の2巻が重文指定されている。 今回、永恩経とわかった経本は、1冊が縦25.6センチ、長さは折り目をならすと8〜10メートル。昨年9月、巻末の「奥書」に朱書きされた永恩の署名から「永恩経」と判明。筆跡などから、奈良時代の写経と判断された。 薬師寺宝物管理研究所の稲城信子研究員は「奈良時代の写経の発見は奈良でも数例。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く