法隆寺(奈良県斑鳩町)で平成16年に出土した遺物から、7世紀前半の図柄や色彩などが残る壁画片約350点が新たに確認されたことが23日、同町教委の調査でわかった。これまでに見つかっている壁画片と同タイプで、「初代法隆寺」とされる若草伽藍(がらん)に描かれていた可能性が高く、国内最古の寺院壁画とされる資料がさらに補強された。 これまでに確認された壁画片は、焼けた痕跡から日本書紀に記された「法隆寺焼失」を裏付ける一級の資料として知られる。その後の洗浄作業などで新たに確認された壁画片は数ミリから5センチ大。線状の図柄や朱色などの顔料、白土が残っていた。壁画片は18年の調査でも見つかっており、併せて貴重な資料になるという。 若草伽藍は現・法隆寺金堂の南東に金堂と塔が縦列に並んでいたとされる。壁画については奈良文化財研究所の田辺征夫所長が「現在の金堂が若草伽藍を踏襲したとすると、その金堂にも浄土の壁画
奈良県明日香村の飛鳥寺西方遺跡で、飛鳥時代の東西の道路跡と推定される石敷きが見つかり、県立橿原考古学研究所が9日、発表した。645年に乙(いっ)巳(し)の変(大化改新)を起こした中(なかの)大(おお)兄(えの)皇(おう)子(じ)(天智天皇)と中(なか)臣(とみの)鎌(かま)足(たり)が出会ったとされる「槻(つき)の木の広場」のすぐ西側で、橿考研は「広場の景観を復元する重要な資料になる」としている。 農業用水路の改修に伴う調査で、幅2・4メートル、長さ80センチ分の石敷きを確認。10~20センチ大の石が敷かれ、縁石も残っていた。 石敷きは東に約100メートル延長すると飛鳥寺西門跡に達し、約150メートル西には乙巳の変で滅んだ蘇(そ)我(がの)蝦(えみ)夷(し)・入(いる)鹿(か)親子が邸宅を構えたとされる甘(あま)樫(かしの)丘(おか)がそびえる。 橿考研によると、飛鳥寺南門の参道の幅は2・
飛鳥の宮殿に付属する庭園と考えられる明日香村の飛鳥京跡苑池で、今月から県立橿原考古学研究所による発掘作業が進められ、遺構を見学するための通路が設けられている。 県が平成28年度の開園を目指している苑池の復元整備に向けた調査で、発掘の段階から遺構に親しんでもらおうと、整備の基本構想を考える検討会が公開の方針を決めていた。 調査は南北2池のうち北池の東側護岸を見つけるのが目的で、20日までに護岸らしき遺構や池の周辺に敷かれた砂利敷きが見え始めており、建物に伴う可能性もある南北の方位に合った石組み溝(幅60センチ)も出土している。 約500メートル南側の水落遺跡(同村)では奈良文化財研究所による発掘調査の様子も見学できる。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く