桜井茶臼山古墳から出土した三角縁神獣鏡の一部=奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所、新井義顕撮影桜井茶臼山古墳から出土した三角縁神獣鏡の一部。「是」という字が刻まれている=奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所、新井義顕撮影国内最多の銅鏡が副葬されていた桜井茶臼山古墳=奈良県桜井市、朝日新聞社ヘリから、日吉健吾撮影 大和政権初期の大王墓の可能性がある奈良県桜井市の大型前方後円墳、桜井茶臼山古墳(3世紀末〜4世紀初め、国史跡、全長200メートル)で、国内最多の13種、81面の銅鏡が副葬されていたことがわかった。県立橿原考古学研究所(同県橿原市)が7日発表した。副葬時の完形品はなく、出土した約380点の破片から判断した。 これまで最多は、平原(ひらばる)遺跡1号墓(福岡県糸島市)の40面だった。全国に約40基ある全長200メートル以上の前方後円墳は、大半が陵墓(皇族の墓)か陵墓参考地で立
邪馬台国の最有力候補地である纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で見つかった大型建物跡(3世紀前半)の一帯は、河川と人工水路で3方を囲まれていた可能性があることが16日、桜井市教委などの分析で分かった。“水の宮殿”を想起させる構造で、約半世紀後の初期大和政権の大王ともされる崇神天皇の宮の「瑞籬宮(みずかきのみや、水垣宮)」とイメージが一致する。邪馬台国の女王・卑弥呼の宮殿と、初期大和政権の宮の関連性や継続性を示す構造として注目されそうだ。 桜井市教委の調査によると、大型建物跡が出土した調査地は、周囲より1メートル以上高い「微高地」(東西約150メートル、南北約100メートル)の中心部。市教委は大型建物跡を囲むさくの内部を内郭、微高地の範囲を外郭と想定している。地形や発掘調査から当時、微高地の北辺と南辺に河川が東西に流れていたとみられる。東辺は未調査だが飛鳥時代の古代官道の上ツ道の推定ルート
纒向遺跡で見つかった大型建物跡。黄色のポールが柱穴の位置。無人駅のJR巻向駅(左奥)を利用して多くの見学が見込まれる=奈良県桜井市、西畑志朗撮影纒向遺跡で見つかった大型建物跡の発掘現場(ブルーシート周辺)。無人駅のJR巻向駅(右)を利用して多くの見学が見込まれる=奈良県桜井市、渡写す 邪馬台国の宮殿だった可能性のある大型建物跡(3世紀前半)が見つかった奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡。古代史の謎に迫る発見とあって、市は14、15両日の現地説明会に1万人以上の参加を見込む。市人口の6分の1の規模で、JRも臨時電車の運行を決めた。桜井市は「万一、事故などがあってはならない」と、職員ら50人を現地に派遣する警備態勢を敷く。 現地説明会は両日とも午前10時〜午後3時。参加無料、雨天時は中止する。 市教委文化財課には発表があった10日以降、説明会の場所や行き方、時間などを問い合わせる電話が1
邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(2世紀末〜4世紀初め)で、3世紀前半(弥生時代末〜古墳時代初め)の大型建物跡が見つかった。市教委が10日発表した。同時期の建物としては、国内最大の面積である上に、周辺で発掘された3棟とともに中心軸が東西の同一線上に並ぶなど例のない計画的な配置だった。 邪馬台国の女王・卑弥呼が君臨した時期にあたり、専門家は「邪馬台国の中枢施設の可能性がある」と指摘している。畿内説と九州説が対立する邪馬台国の所在論争に影響を与える発見となる。 市教委によると、大型建物は南北19.2メートル、東西12.4メートル、床面積は約238平方メートルに及ぶ。現地説明会は14、15日の午前10時〜午後3時。JR巻向(まきむく)駅西側。雨天中止。
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