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数人のえらい人が「いい」と批評したコンテンツよりも、数万人のふつうの人が「いい」と評価したコンテンツのほうが、普遍的な「よさ」を持っている可能性は高い。インターネットの美点は、いいコンテンツが、えらい人の一存で黙殺されないことだ。いいコンテンツには必ず熱烈なファンがつく。ファンが拡散してくれるので、いいコンテンツは必ずバズる。 私はブログを書いているので、この記事では主にテキストコンテンツについて考えている。が、イラストや音楽などの他のコンテンツでも基本的に同じだろう。作ったコンテンツが「いい」なら必ずバズるし、もしもあなたの作ったモノがバズらないとしたら、それは普遍的な「よさ」に欠けていると考えたほうがいい。 では、インターネットでバズるのは「いいコンテンツ」だけだろうか? 流行にのったコンテンツだけがバズっているのではないだろうか? また、いいコンテンツでもバズらないケースがあるとした
「変痴奇論」 という言葉がある。案外使われている言葉でもあるのだが、手元の 『明鏡国語辞典』 には載っていない。Goo 辞書は『大辞林』だから、かなり語数が多いはずなのだが、それでも載っていない。 読みは、素直に「へんちきろん」でいい。意味も素直に、「変ちきなご意見」である。 「変痴奇論」というのは、明治の劇評に端を発する造語と記憶する。当時の「劇」といえば「歌舞伎」で、これは元々、奇想天外さを多分に含んだ庶民劇なので、近代の小理屈で見れば、つっこみどころ満載なのである。 そこで、歌舞伎の筋や所作などを、「あそこが変だ、ここが理屈に合わない」などと、いちいちつっこんで評するのを、「変痴奇論」と言った。そこから転じて、常識の盲点を突いた論理展開をも「変痴奇論」と言うようになったもののようだ。 明治の劇評の「変痴奇論」は、「心地よいお約束をぶちこわしにする無粋」だったが、徐々に「斬新な論理展開
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