2014年1月26日のブックマーク (3件)

  • 『明日、ママがいない』は「フィクションだから良い」と呼べる範囲を逸脱している【追記➁】

    のれん⋈呟き用 @noren_tweet 最初に少し小難しい話をしますが。 どんなモノにも、表現の自由があるというのは嘘です。 公共の福祉による最小限の範囲、つまり『他人に実害を与えない(明白かつ現在の危険がない)範囲』で許される。 のれん⋈呟き用 @noren_tweet 三島由紀夫の小説「宴のあと」事件が有名ですね。 裁判所が「表現の自由」と「私生活をみだりに明かされない権利」を論点に審議され、日で初めてプライバシー権が認められた判例です。 のれん⋈呟き用 @noren_tweet この件で「言論、表現の自由は絶対的なものではなく、他の名誉、信用、プライバシー等の法益を侵害しない限りにおいてその自由が保障されているものである」との判決が下っています。 その通りだと思います。 『他の名誉、信用、プライバシー等の法益を侵害しないかぎり』表現の自由は許される。

    『明日、ママがいない』は「フィクションだから良い」と呼べる範囲を逸脱している【追記➁】
    cixotas
    cixotas 2014/01/26
    虚構新聞と同じ問題点ですね。
  • 救われるべきは「被害者」ではなく「加害者」 - 狐の王国

    ネットをあちこち見ていると「最近は被害者の立場にたったほうが有利」みたいな言説がよく見られる。だからみんな自分がいかに被害者側かアピールするんだよ、と。 まあ確かにそういう記事や発言がよく見られる気はする。結局どの側面から見るかで、恵まれてる面も恵まれなかった面もそりゃあるに決まってる。どこにフォーカスするか次第といわれりゃまあ確かにそのとおりとしか言いようがない。 「弱者救済」と言えば正義のようにも思えるけれども、その内実を見れば彼ら彼女らを「弱者」に追い込んだ「加害者」がいることも少なからずある。 いじめ問題を思い出すとわかりやすい。よく「いじめられる側にも問題がある」なんていうやつがいるけれども、いじめられる側の問題といえば「逃げなかった(学校へ行った)」という一点に尽きるのであり、問題があるのはいじめる側である。そして当にケアしなければならないのはいじめっ子のほうなのだ。だって問

    救われるべきは「被害者」ではなく「加害者」 - 狐の王国
    cixotas
    cixotas 2014/01/26
    被害者を社会的に救う手立ては社会のよりよい環境整備であって、犯罪者を社会的な貢献度を高めるようにする以外に救済手段を用意できないという社会システムの理解にあえて目を背けているような現状では難しいかも。
  • 押して、押して、押し倒されろ! - FC2 BLOG パスワード認証

    管理人からのメッセージ 過去ログは随時noteへ移行していきます。今後ともよろしくお願いいたします。 https://note.mu/yu_ichikawa/

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    cixotas
    cixotas 2014/01/26
    いい話をつくるためには、悲劇や非道を用意しないとダメなんですね。数組のヒーローのために幾千の悪党外道を同じ作者が用意していることに疑問を抱かない日本の漫画を見ていると感覚が鈍る気がします。