山本勘助と真田幸村といえば時代劇のスターといってもよいでしょうが、実はこの二人、日本の歴史学の上では厄介者扱いなのです。 山本勘助、つまり武田信玄の「軍師」としての勘助は、かつて歴史学界では存在を否定されていました。「伝説上の人物」だというのです。確かに軍師という言葉はもともと中国語で、日本の戦国時代にはそういう言葉は使われていなかった可能性は高いのです。しかし、それは勘助が存在しなかったということとは全く意味が違います。にもかかわらず、歴史学界は「勘助は実在しなかった」という説を採用していました。このため作家、海音寺潮五郎氏は小説『天と地と』を書くにあたって、山本勘助を登場させませんでした。歴史学界の悪影響を受けてしまったのです。 なぜ歴史学界は勘助の存在を否定したのでしょうか? 理由は簡単で「同時代の史料に勘助が登場しない」というものでした。いかに状況証拠で勘助が存在したと推論できても
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