世の中の多くの人は大好きだけど、個人的に好きではない物事が沢山あるので、あえて列挙してみたいと思う。 1.温泉 ちょっとした効能のある大自然の中の風呂だが、所詮風呂は風呂である。そんなに風呂に入りたいか?と思う。自宅の風呂で十分である。 2.焼肉 店に行って金払ってるのに、自分で焼かなくてはいけないのが納得いかない。自分で焼く分安くしてほしいが、何故かそんなに安くない。肉ばっかり食べても飽きる。同じ理由でお好み焼き等も好きではない。 3.バーベキュー 野外でメシを食いたいという神経が理解できない。野外で食べると美味くなるのだろうか。不衛生という言葉しか頭に浮かばない。家の中で食べれば良い。同じ理由で花見も好きではない。 4.飲み会 年齢を重ねるにつれて、酒を飲んだ状態で電車に乗って家に帰る、という行動がダルくてしょうがなくなった。自宅から徒歩圏内の居酒屋ならギリギリOK。家呑みであれば尚可
女だけど男の股間を凝視するのを治したい。 電車で座っていて、前に男性が立たれたら、絶対に股間を見てしまう。 読書とかスマホを見ていても意味がない。男性の股間が気になって仕方がない。 スーツやだぼっとしたスラックスだとあまり目立たないけど、たまにぴっちぴちのジーンズをはいている人がいる。 そういう人だとやたら目立つ。白いズボンとか履いてる人は特に気になる。 見せつけてるのか?ってくらいくっきり浮き上がっている人がいる。そういうのはとりあえずガン見する。 見せつけているかのような態度なのだから、見つめ返すのが礼儀というものだ。 はた目からは寝ているかのように薄目を閉じていながら、心の目ではしっかりと形状観察している。 顔にはこだわらないけど若いイケメンとか精悍なサラリーマンだと興奮する。 くたびれた中年とかおじいさんだとなんか萎える。 性欲旺盛そうな体のラインがくっきりしたプリケツのサラリーマ
好きでもない、その日たまたま知り合っただけの男とラブホまで行った。すぐ帰ったけどキスだけ何度かした。 その人とは二件目のバーで友達と飲んでいるところをナンパされて、話の流れでカラオケに行くことになった。男女比が三対三でちょうどよかったのもあると思う。カラオケの個室で肩や腰に手を回されたり頬にキスされたり。わたしも手を握り返したり魅力的に見えるように微笑んだりした。でもそれはわたしの中ではただの『接待』で、『演じている自分』だった。女全員でトイレに行ったとき、友達とただでお酒飲めてカラオケできるしね~って笑いあったりもした。このときまでは強かな女の子でいられたと思う。正直カラオケだけで帰りたかった。 そこから一人の男とラブホまで行くことになった詳細は省くけど、今思い出してもわたしは流されまくってた。 ラブホで飲みながら一時間くらい話して 「キスしよっか」「駄目です」「えっじゃあなんでここまで
おそらくは誰でも、可哀想なものや倫理規範に反するものへの薄暗い興味を持っていると思います。私も作品で悲壮な場面は書きますし、それは悲壮な状況に関心があるから書いています。ただ、自分で可哀想なものを書くときには、悲壮感をフェティッシュで片付けないようにしています。 これに関しては精神論めいた結論になってしまいますが、興味(またはフェチ「萌え」)を持つからには「当事者意識を持たなければならない」と考えています。 たとえば現実で合意のない暴力(ネットスラングで「リョナ[1]」)を振るってはいけないのは当然です。しかし、フィクションのリョナを読者として楽しむときも、「現実では望まない暴力をうけて苦しんでいる存在がある」ことの自覚は忘れない方が良いと思うのです。 性暴力の被害者が、自分が受けた暴力について思い出されたり、性暴力を肯定する作品を見て傷つくことを「セカンドレイプ」といいます。[2] たぶ
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