ブックマーク / ameblo.jp/monex-oki (2)

  • 松本大『地公体』

    最近気になることがあります。いくつかの地方公共団体(地公体)で、通常は自由に行い得る個人レベルの行動が、当該地公体の公務員に関して、様々な理由から制限されるケースが出てきていることです。この“様々な理由”は、もちろん妥当で正当な理由だと信じますが、それでも尚、若干の違和感を覚えます。その理由は2つ。同じようなことが私企業に於いて行われようとしたら、恐らくそれは、“自ら選んで所属している団体のルールであるから従うべきである”という考え方に立っても、やはり許されないのではないかと思われるのです。もうひとつは、私と同じように感じている人は大勢いるように私は思っているのですが、それを云い出しにくい“空気”があることです。この種の空気は、私がもっとも嫌うものです。それぞれの理由についてもっと知る努力をしなければいけませんが、注意して見ていきたいと思います。

    松本大『地公体』
    cloudliner_tweets
    cloudliner_tweets 2012/05/31
    いくつかの地方公共団体(地公体)で、通常は自由に行い得る個人レベルの行動が、当該地公体の公務員に関して、様々な理由から制限されるケースが出てきている
  • 松本大『資本主義とは』

    私は経済学者ではありませんし、そもそも経済学を勉強したことがありません。しかし経済の一主体ではあり、経済と恐らく密接な関係にある資市場に四半世紀、身を投じてきました。そんな一介の町のエコノマー(?)が思う資主義について。 資主義の定義とは、或いは資主義の必然の帰結とは、得意分野で分業することであり、その結果”なにかしらの”偏りが出来ることではないかと。分業をしなければ経済が強くならないことは比較的自明です。何も交換しない時代→市場(いちば)で物々交換をする時代→貨幣を通じて時空を超えて交換をする時代、と人類の経済は成長してきました。この背景にあるのは、それぞれが得意分野で生産し、即ち分業し、それらを交換する方が全体の生産性が高くなるということです。 この分業は、例えば家族という小さな系の中でも発生するし、世界という大きな系でも発生します。そして系の中のある単位は、系の中の他の単位と

    松本大『資本主義とは』
    cloudliner_tweets
    cloudliner_tweets 2011/08/27
    資本主義の定義とは、或いは資本主義の必然の帰結とは、得意分野で分業することであり、その結果”なにかしらの”偏りが出来ること
  • 1