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ブックマーク / saionman.blog.2nt.com (6)

  • らき☆すたに出てきたハルヒの水着がアレだった サイオンジ探偵社

  • アニメ「とらドラ!」が疑似科学の片棒をかついでいた。許せない サイオンジ探偵社

    疑似科学やオカルト… なぜ、だまされるのか? 最近読んで、とても感銘を受けた記事。 この安斎育郎さんという方は、疑似科学やオカルトを安易に信じ込んでしまう人たちに対して、科学的な視点から啓蒙活動を行っているそうだ。 スプーン曲げが簡単に出来ることを目の前で見せて、これが誰でもできる力学の応用の一種であることを実証してみせるなど、具体的な手法を用いて、疑似科学、オカルトのたぐいを一掃しようとしているらしい。 安斎さんは語る。 「目の前で自分の理解を超えたことが起こったとき、超能力と思わずに、なぜ、こんなことが起きるのか、と考えてほしい」 すばらしい、と思った。 私もまったく同感だ。 そういえば、水に「ありがとう」と言葉をかけると綺麗な結晶ができる、などという世迷言が学校教育にとりいれられたとかで騒ぎになったことがあった。アホかと思う。 そもそも、この人はなぜ、水なんぞに「ありがとう」と声をか

    cloverleaf24
    cloverleaf24 2008/11/30
    たかがアニメ。されどアニメ。
  • 実は、ルルーシュと泉こなたの足の長さは同じくらい サイオンジ探偵社

    【コードギアスR2】さすがの俺でも9.5頭身はないと思う コードギアスの頭身が高すぎるっていう記事。 (頭身が「高い」っていう言い方が正しいのかどうかよくわからないけど(たぶん正しくないけど)、なんと呼べばいいのかよくわからないので、とりあえず、ここでは「頭身が高い(低い)」と書く) 私も前々から、コードギアスのこのCLAMP体型には一言モノ申したい!と思っていた。 R2が始まったら、一言モノ申そうと思っていたんだけど、思いのほか低視聴率だったり、またPS3の谷口監督のサインをシンナーで消してるのに忙しかったりで、すっかり書くのを忘れていたんだけど、この機会に書いておく。 コードギアスの頭身はたしかに高い。顔は小さいし、手足なんかひょろひょろだ。 コードギアスのひょろひょろ感とは、逆に頭がデカく頭身が低いキャラデザインのアニメも存在する。たとえば、らき☆すたとか。 試しに、ルルーシュ(コー

  • 意外と知らない日本刀の正しい差しかた サイオンジ探偵社

    人間というものは、普段からよく目にしていることを、案外ちゃんと覚えていなかったりするもんです。 何度も見ているはずなのに、いざ思い出そうとすると思い出せない。そんな経験は誰にでもあるんじゃないでしょうか。 てなわけで、今まで何度も見ているはずなのに見えてない例として、今回取り上げてみたいのは「日刀の正しい差しかた」です。 ご存知のとおり、日刀には反りが入っていて、片方が刃、片方が峰になってますが、武士が腰に日刀を差すときに、どっち向きで差すのが正しいのか、ってことです。 つまり、 こんなふうに刃が下向きか、 それとも、刃が上向きか、ってことです。 自分は「たぶん、こっちが正しい」と今まで思いこんでたんですけど、アニメなんかを見ていて「あれ?ひょっとして、こっちが正しいの?」と疑問に思ったんで、今回調べてみました。 それで調べた後に、周囲の何人かに聞いてみたんですけど、どっちが正しいか

  • 歴史に残りやすいアニメ、残りにくいアニメ サイオンジ探偵社

    昔、山下達郎がこんなことを言っていた。 「ロックと違ってモータウンとかは語りにくいんだよね。それで歴史に残るっていくのは、ロックみたいな言語化しやすい音楽のほうなわけ」 あやふやな記憶をもとにしてるんでぜんぜん正確じゃないんだけど、だいたい、こんな意味のこと。 モータウン(・サウンド)が歴史に残っていないかと言えば、そりゃ違う。 実際に今でもちゃんと聴かれている。 しかし、モータウンのような、人を楽しませるだけに作られた娯楽音楽よりも、ロックのような、社会性だとかメッセージ性みたいなのがある音楽のほうが語られやすいし、また歴史に残りやすいってのも確かだと思う。 実際、歴史に残ってるロックバンドのなかには、今聴くと「なんじゃ、こりゃ」ってのが数多くあったりする。 60年代から70年代にかけての、いまだに名前が残ってるロックとモータウンを聞き比べてみると、明らかにロックのほうに外れが多い。 つ

  • CLANNADが善意で出来ているとすると、ef - a tale of memories.は悪意で出来ている サイオンジ探偵社

    作画崩壊って単純には表現できない感情を何とか表現しようとした果てでもあるよね ずいぶんと前の記事だけど、これは素晴らしかった。 なのはの『作画崩壊』の話から、ギャルゲー的なキャラは造形上から表情が乏しいということが書かれている。 私は絵を描ける人間ではないので、こういう視点がとても斬新で面白かったです。 もし読んでない人がいたらぜひ。 で、このなかの一節にこういうことが書かれている。 思うにいわゆる神作画というのは、これまで「アニメの女性キャラの作画で、普段と違って情報量の多い作画の時に使われた言葉」とか、「キャラ表から外れないで動作が丁寧な作画」みたいなニュアンスで使われてきたけど(作画オタの人が言う神作画についてはここでは触れない)、それに加えて「手塚治虫の言うマンガ記号論的な喜怒哀楽の表情から外れない程度に、情報量が多くて丁寧な作画」という側面があるのではないか、と。 手塚治虫のマン

    cloverleaf24
    cloverleaf24 2007/12/07
    efは見てないがシャフトのこだわりが透けてみえる気がする。
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