⇒自由科学と真正性の水準 - 地下生活者の手遊び そもそも、スピーチコードとは何かと言うと、人間の考えることの7割は差別的で、それを表出すると殺し合いが発生するから、残りの3割で話しましょう、ということ。結果、PCにおいてタバコの裏書同様の「知識」に基づく自明性に対する不在証明が前提される。 ハーバーマスの公共圏論とは何かと言うと、相互の顔が見えるコーヒーショップで、互いに自分の考えることの10割の手札を相手の顔を見ながら徐々に切っていき、合意形成において私たちが殺し合うことのない「3割」に到達しましょう、ということ。なぜなら、ヨーロッパの歴史において、共同幻想を通じて「相手の顔」を「われわれ」「彼ら」に変換するビアホールの扇動家を退けるため、そう考えるよりほかなかった。 当然、前者はアメリカ的な発想であり、後者はヨーロッパ的な発想です。 しかし、陵辱表現愛好者の誰が性犯罪被害者に対して「