かつての日本の地域社会では、セックスが実生活の一部を構成する要素として認められ、肯定的にとらえられていたことは、第一法規発行の「日本の民俗」シリーズや、瀬川清子『若者と娘をめぐる民俗』や大間知篤三『婚姻の民俗』などといった、数々の研究書や資料から明らかである。 実生活の一部である以上、理屈だけでは役に立たない。当然ながら「実技」も必要となるが、その点についてもそのシステムが用意されていた。もちろん、男女ともにそれぞれに対してである。 そのなかで、男性に対するもの、すなわち童貞あるいはそれに近い青少年に対するセックスの実技指導も決して珍しいものではない。たとえば、江戸期に見られる介添女(介添女房)などはその一例である。 『犯罪科学』昭和5年10月号に高倉薫という人物による、「童貞開きの伝習奇習」と題する文章が掲載されている。その内容は瀬戸内海にあるある島の慣習を事例として紹介しているもので、