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ブックマーク / neko.koyama.mond.jp (1)

  • 漱石先生が「猫」広告文を書くまで | 「吾輩は猫である」

    << March 2024 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >> 明治38年1月1日発行の「ホトトギス」に掲載された「」が評判を呼んでのち、出版される経緯は先の“大倉書店のこと”で書いた通りですけれど、漱石が残した書簡の数々よりもう少し詳しく見てみます。 大ヒット作品ですから、出版したいという引き合いは彼方此方からあったと思うのですが、7月15日付中川芳太郎(八高教授、名古屋のヒトだ)宛書簡には“隆文館”という出版社から引き合いがあった旨書かれています。 ですが漱石が選んだのは大倉書店でした。出版を望んだ番頭・服部国太郎の押しが強かったからか、大倉書店が大出版社だったからか?その謎は次の手紙で分かりました。 版元が決まり、漱石は挿絵を依頼すべく画家・

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