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疑似科学批判に関するcometoriのブックマーク (8)

  • ホメオパスになるためのコスト - NATROMのブログ

    ホメオパシーによる被害者は、レメディによる治療を受けた人だけではない。ホメオパス自身も被害者となりうる。ホメオパシージャパンの関連団体にホメオパスを養成する学校がある。学長は由井寅子氏だ。 ■ホメオパシー統合医療専門校 カレッジ・オブ・ホリスティック・ホメオパシー 患者だけではなく、「ホメオパスになりたい人」も、ホメオパシージャパンの顧客なのだ。カレッジ・オブ・ホリスティック・ホメオパシー(CHhom)には複数のコースがあるが、たとえば、「プロフェッショナル・ホメオパス養成コース」は、4年かけて、「日ホメオパシー財団日ホメオパシー医学協会(JPHMA)認定ホメオパスの受験資格」を得ることができる。もちろん、「JPHMA認定ホメオパス」は国家資格ではない。一民間団体の資格に過ぎない。私の見るところでは、「JPHMA認定ホメオパス」の資格には何の価値もなく、CHhomのやっていることはただ

    ホメオパスになるためのコスト - NATROMのブログ
    cometori
    cometori 2010/08/31
    施術者側のコストは見ていなかった。なるほどなぁ。
  • 疑似科学を憎んでバカを憎まず - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「ずれた論点と悪意ある混同」@地下生活者の手遊び お答えしていきます。 NATROM氏の記事の中の、たとえば象徴的な部分としては、末尾の次のところ。 母親を批判するだけでは問題が解決しないというのはわかる。なぜこの母親がホメオパシーにはまったのか、おそらく、ブログのタイトルの「自分探しの旅」というところにヒントがあるように思うが、そこから考えるべきなのだろう。それはそれとして、「自分探し」につきあわされて余計な苦痛、難聴になるリスクを一方的に背負わされる子を考えると、批判を行うべきだと私は考えた。どんな言葉もこの母親の考えを変えることはできないだろうが、周囲の人たちや、あるいは将来ホメオパシーにはまる予備軍の人に言葉が届けばそれでよい。 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080516#p1 まず、「どんな言葉もこの母親の考えを変えることはできないだろうが、周囲の

    疑似科学を憎んでバカを憎まず - モジモジ君のブログ。みたいな。
    cometori
    cometori 2008/05/29
    『子どもと母親は対立しているのではありません』心情はそうだと思う。先方は権利の話をしてるけど/医療拒否行為が医学ではなく医療(特にコミュニケーション)への不信感に起因するなら、懐柔は最有力手段では
  • ホメオパシーと医療ネグレクト - NATROMのブログ

    インチキ医療を批判することに対し、「そうは言っても現代医学が病気を100%治すことができない以上、一縷の望みを持ってすがるものがあっても良いのではないか。それをインチキだ、ニセ科学だと批判したり、笑い物にしたりするのはいかがなものか」という意見がある。一理ある。一理あることを認めた上で、インチキ医療の弊害は歴然と存在するのであり、批判することに意味があると私は考える。インチキ医療は現代医学の否定と関連していることが多く、治せる見込みの十分ある疾患が放置されたり、余計な苦痛を味合わせたりする。 さて、mixiの「ホメオパシー問題を考える」コミュの「雑談トピ」*1経由で知ったのだが、■ホメオパシー的 自分探しの旅*2というブログにおいて、ホメオパシーに(それも、よりたちの悪いホメオパシー・ジャパン)はまっている母親が、幼児の耳の怪我をホメオパシーで治そうとしている経緯を書いている*3。 ■ホメ

    ホメオパシーと医療ネグレクト - NATROMのブログ
    cometori
    cometori 2008/05/23
    『母親を批判するだけでは問題が解決しないというのはわかる』/統計は無いのかな。実践者が代替医療と現代医学を「使い分ける」境目はどのあたりで、誰の助言を参考にするのかとか。汎用性の高いテーマだと思うけど
  • 疑似科学批判批判 - raurublock on Hatena

    この指摘は興味深いけど、しかし id:mojimoji さん自身が十字軍な人たちの心理を理解できているかと言うと、そうでも無いような気がする。 十字軍はバカに勝てるか (id:mojimoji) 圧倒的などうしようもないバカを前にして、「このバカとともに暮らそう」と言うことです。その先にしか未来はありえないのですから、そのように覚悟を決めるのが賢き人の責任というものでしょう。それは教育や労働といった、一見関係のなさそうな広い領域について考える必要があるでしょう。──そう思えないなら、バカの自己責任論を振り回すのであれば、賢き人たちだけを連れて、どこか遠いお星様にでも行って下さい。 十字軍な人は陽に言わないけど、そういう人が当に目指しているのは、「バカを救うこと」じゃなくて、「バカの侵略を防ぐこと」だと私は見てます。つまり、自分達のテリトリーがあって、そこは今のところバカの被害をあまり受け

    疑似科学批判批判 - raurublock on Hatena
    cometori
    cometori 2008/05/23
    『被害者意識』『これは正当防衛だ』同意。そういう心象だと思う
  • 十字軍はバカに勝てるか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いわゆる「ニセ科学批判批判」をしている人の文章を読むと、こういうのを書いている人って切実に「これはまずいのではないか」と思うような体験がないのか、単に寛容な人なのか、なんなんだろうという。人によっては自分の周りの人たちは水からの伝言のことを話していてもそんなに真に受けてないし、何を騒いでるの?といったことを書いていたりもしますし。 「昨日のエントリについての補足」@Demilog ニセ科学にはまっている人を見て、切実に「これはまずい」と思うことならいくらでもあります。ただ、ニセ科学を討伐する十字軍をやっても無理だろう、と思っているだけです。バカは、バカとして主体的であることはできても、バカでなくなることはできません*1。怒ったところで宥めたところでスカしたところで、バカが治るわけではありません。バカはバカだからバカなのです。科学的な説明をしてみせても、わかるわけがありません。バカなんだから

    十字軍はバカに勝てるか - モジモジ君のブログ。みたいな。
    cometori
    cometori 2008/05/23
    バカ連呼にムッとして最後に爆笑した(笑) /他人をバカ呼ばわりする文章見るとどこやらキリキリ痛む気が。バカ族出でいまだにバカだからだろう/id:o_keke_nigel そこは無論了解のうえ。「彼岸の目」に対する私の感慨
  • 昨日のエントリについての補足 - Demilog

    昨日のエントリ「陰謀論やニセ科学と市民運動について」を書いた後で思うところがあったり、いただいたブックマークコメントを読んで書いておきたいことが出てきたのでここで補足しておきますね。富山の市民運動について富山でも市民運動界隈にニューエイジやニセ科学が入り込んでいることなどについて昨日のエントリで書きましたが、ちょっと補足を。労働運動系や女性運動系ではあまりそういう感じはありません。ただいつも忙しすぎて議論している暇が無いという印象があります。それと患者団体や障害者運動のような医療関係でも自分の知る範囲ではそういう感じはないです。日々の生活やそれこそ生死の問題がかかっているということが関係しているのではないか、と思えますし、医療・福祉制度のことや医学のことをたくさん調べて考えたり議論しながら物事を進める必要があることがそういう要素を近づけにくくしているのかもしれません(それと余談ですがちょっ

  • 疑似科学問題とはいかなる問題か - モジモジ君のブログ。みたいな。

    似非科学とか疑似科学とか、区別せずに使ってますが。とりあえず僕の記事の中では同じ意味です。深く考えておりません。 思うに、疑似科学問題とは、疑似科学と科学の区別問題ではない。あるいは、そのように言うだけでは、十分定式化できた、とは言えない。──どんな人であれ、時間が無限にあるわけじゃないのだから、少なくとも部分的にはある種の判断停止を前提しない限り、物を考える、ということはできない。自身の信念体系全体について全面的な反省をしているわけではなく(そんなことは不可能)、このあたりは大丈夫だろう、というあたりをつけて、そこは判断停止した上で、判断停止した領域との整合性をチェックすることによって体系全体を見直す。──このような作業を経てものを考えている、という意味では、疑似科学的な人とそうではない人の間に*1、それほど違いはない。 違うのは、整合性がうまく保てなくなった場合の対処法。整合性がうまく

    疑似科学問題とはいかなる問題か - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 擬似科学批判をめぐって - 諸悪莫作

    id:demianさんやid:Apemanさんからいただいたご批判について。 http://d.hatena.ne.jp/demian/20080514/p1 「疑似科学と平和運動」について再び - Apeman’s diary 特定の専門領域に従事する人もしくは特定の専門領域に強い関心を抱く人が、その良心から、もしくは自身や先人達の積み重ねに対する責任感から、その専門性を発揮し、社会的な出来事に対して警句を発したり批判をおこなおうと考えることは――少し端折って書くと――自然なことであり、その誠実さのあらわれなのだとさえ言える。そして同時にたとえば僕のような半可通が、そのような専門家の意見に依拠して自身の見解を構築したとしても、それはある意味では当然のことなのであって、それ自体にはなんら批判される要素はないと言える。だからいわゆる擬似科学というものに対して、科学の領域にある人々が批判をおこ

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