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表現と差別に関するcometoriのブックマーク (4)

  • マンガと差別

    「マンガと差別」 現代風俗研究会『現代風俗 93』1993年1月 はじめに 現代風俗研究会の今年度のメインテーマは「マンガ」。マンガとゲンプーケン。よくわかる組み合わせだ。クリープとコーヒーのようによくわかる。しかし、私にいただいたテーマである「マンガと差別」となると読者諸氏にはわかりにくいかもしれない。私も二十年前ならまったくわからなかっただろう。しかし、今はよくわかる。書の編集者には、現在の「差別!」という観点からなされるマンガへの異議申し立てに違和感があったのだ。 私は、マンガに対して「差別だ!」という異議申し立てがなされることを全面否定しようとは思わないが、最近反差別運動の立場からなされるさまざまな表現への「差別!」という抗議の内容には少なからぬ違和感をいだいている[(1)]。その違和感というものは、こんなことだ。いまどきの人で、差別と聞いて良いことだと思う人は少ない。たいていは

    cometori
    cometori 2010/09/05
    「被差別者の痛みは被差別者の口からしか語り得ない」・・うーん。そうだとしても、/「低俗文化というものは、その社会が偽善的なイメージでおおいつくされていることから生じる錯誤を正すために必要なものである」
  • 高橋氏とのブコメ議論まとめ - ohnosakiko’s blog

    例の首都大の学生のやった件で、この数日、id:NaokiTakahashi氏(以下、高橋氏と表記)とのブコメ議論があちこちで長引いた。 個人的には、被害者の受けた苦痛と屈辱の前には、こんなアート論議などどうでもいいものだと思っているし、この事件についてアートや芸術方面から語ること自体が(アートや芸術に対してではなく)被害者の女性達に対して失礼なものになりかねないと思っている。このことはブコメに書けなかったのでここではっきり言っておきたい。 私の基的態度は「これをアートとして語る意味はない」。高橋氏の態度は「アートの俎上に上げてその質を論じよ」。バカ長いばかりで読む人も少ないだろうが、なにがしかあぶり出されている面もあると思うのでここにまとめておく。 それぞれの元記事。私が最初のブコメを書き込んだ順。議論の日時はかなり重なっていて同時進行的にやっていた。 Togetter - まとめ「ドブ

    高橋氏とのブコメ議論まとめ - ohnosakiko’s blog
  • 「レイプレイ」と言論の自由、その3 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    二つほど。 問題は「性暴力を助長する」ではなく「性暴力そのもの」 問題は、性表現一般ではないし、性暴力一般でさえなく、とりあえずは、性暴力を肯定する表現です。性暴力とそうでないものの境界が曖昧だとしても、問題になっているのは曖昧な事例ではなく、規制派も反対派も「性暴力の肯定的表現」と認識しているものです。そのような表現を、性暴力被害者に対して今なおセカンドレイプ的言説が繰り返される社会において流通させることの問題です。 で、表現は、表現であると同時に、直接の脅迫でありえます。わからないようだからハッキリ言いますが、「性暴力を助長するかもしれない」じゃなくて、それ自体が性暴力なんですよ。レイプが、身体の自由に対する直接の侵害であることは説明の必要はありません。では、脅迫はどうか。脅迫は、身体の自由に対する侵害の予告であって、侵害自体ではありません。しかし、侵害の予告をもって実際の行動の自由を

    「レイプレイ」と言論の自由、その3 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    cometori
    cometori 2009/06/12
    『その間で(なんでもいいから実質に関わる)言葉がやりとりされる必要(中略)「表現の自由」を盾とする言説がそれを阻む』に同意。不問とするな、という意味でなら/が・・・
  • 手塚プロダクションの歴史主義とアウトソーシングされた差別 - (元)登校拒否系

    手塚治虫の『きりひと讃歌』(小学館文庫)をブックオフで買ってきて読みました。たいへんに面白かったのですが、奥付の前ページに「読者のみなさまへ」という文章がありました。手塚プロダクションと小学館の連名によるものです。 手塚治虫氏の作品の中には、いろいろな国の人物が登場しますが、最近、その一部について、いかにも野蛮で未開人という印象を与えたり、過去の偏見にもとづいたステレオタイプで描かれており、人種差別につながる表現だとの指摘がなされております。 この作品が発表された当時、作者にはもちろん、読者にも差別意識はなかったと思いますが、今日、こうした描写を差別と感じる人がいる以上、その声には真剣に耳を傾けねばなりません。 私たちは著作者の原作を尊重し、そのまま紹介いたしますが、読者のみなさまには、ともすれば私たちが見落としがちな人種差別について、いっそうのご理解を深めていただくようお願いするしだいで

    手塚プロダクションの歴史主義とアウトソーシングされた差別 - (元)登校拒否系
    cometori
    cometori 2009/01/21
    うーん。なにかモヤモヤ感。/ある構造を問うことと、その構造の内に生きている人の「自己検証能力」を問うこととは、まったく別のこと。という感。/「表現」に対面するさい、前者は問い得るが後者は問えないと思う
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