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2008年3月14日のブックマーク (3件)

  • 議論と表現 - 風のはて

    ■[表現][議論][反省会]議論と表現 このブログはもともとネットを見ていて発生する怒りとかの感情について、自分をサンプルにしてそのメカニズム等を解明することを目的にはじめたもの。 気に触るブログを見たとき、実際には感情的な反応であるのに、反論として相手の議論の穴を突くようなことは、コミュニケーション上は余り良くない。上げ足取り合戦になりやすい。それならば、「お前のここの記述が気に入らん。というのも俺はこういう経験をしてきたから、そこは相容れないのじゃ。」と素直に感情を書くほうが良いのではないかと思う。 その感情が正当なものかどうかは気にしない。その人の経験に基づくのだから。客観的に不当な反応であるにせよ、それを書くことで、「このように考える人もいるのか。」と知ることができる。 で、それがこのブログの考え方のベースにあって、感情を的確に伝えるために、無理に丁寧な言い回しをすることは避けてき

    cometori
    cometori 2008/03/14
    『まじめな文章を書いたとき、マジ切れしたときの文章と、外見上の文体が同じ』←ほんとだ(今頃気付いた)/マジ切れすると年単位で江戸仇長崎やる私より、そちらのキレかたのほうが素朴で可愛いらしおす(笑)
  • 優越感ゲームって、指摘したら負けじゃね? - novtan別館

    もちろんこのエントリを書いた時点で僕も負けです…って参加してないけど。 当は、どんなにブックマーカーたちが優越感に浸りながら「自己主張」しているつもりでも、「主導権」を握っているのはそのエントリを書いた人なのだ、という話です。 2008-03-13 こういうのは自覚があったり空気をひしひしと感じていても「目線に上下なんかない」と主張し続けなければならないのです! 絶対的な価値判断の元の見下し的優越感というのは、ある種の人々には許されていると思うんですよね。物の評論家ってのはそんなもんでしょう。物のクリエイターも同様。ただ、市場には排除されるかも知れないけど。 今非常に曖昧な言葉であるところの「物の」を使いました。とりあえず、そこはそういうものだとしておいてください。 で、大部分のそれ以外の人たちにとってはコメントも自己主張も所詮相対的なものであって、そこに優越感ゲームが存在するのは

    優越感ゲームって、指摘したら負けじゃね? - novtan別館
    cometori
    cometori 2008/03/14
    引用元って優越感ゲームの話?/批評や編集は元文の主題にコミットしたうえでの文芸行為だが、この「コミット感」の欠落がはてブ(ネガ)コメへのフラストレーションを醸成していると感じる。是非はともかくとして
  • それでも僕は、ブロガーのほうがブックマーカーよりも偉いと思う。 - 琥珀色の戯言

    と、タイトルで軽く「釣って」みました。 当は、どんなにブックマーカーたちが優越感に浸りながら「自己主張」しているつもりでも、「主導権」を握っているのはそのエントリを書いた人なのだ、という話です。 以前、齋藤由多加さん(ゲームデザイナー、『シーマン』の作者)が、著書『ハンバーガーを待つ3分間の値段〜ゲームクリエーターの発想術〜』(幻冬舎)のなかで、こんなことを書かれていました。 大手のゲーム会社を新作の契約を交わすときなどには、手始めにどちらか一社がまず草案を作ります。私の会社のような零細企業などの場合、法務担当者なんていませんから、たいてい大手企業側の法務部がサンプルを作り、それをもとにどこを直せ、いや譲れない、と押し問答の交渉が始まります。 両者とも零細企業の場合は、どちらにも担当者がいないものだから、面倒さにまかせてついつい契約書は後回し、となってしまいがちです。それくらい面倒な仕事

    それでも僕は、ブロガーのほうがブックマーカーよりも偉いと思う。 - 琥珀色の戯言
    cometori
    cometori 2008/03/14
    書く労力でいうなら、ガーのほうがカーよりも偉い。ご苦労様というか。面白さだと・・・長文エントリと寸鉄コメが拮抗していることは、よくあるかなぁ。感じる面白さの種類が違うんだけど。違うから良い