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2009年3月18日のブックマーク (2件)

  • 2009-03-18

    2009-03-18 魂の落としどころがどっかにあるはずなんだ、たぶん 仏教 2009-03-15 エホバの証人と輸血の話 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake 「エホバの証人と輸血の話」へのコメントとお返事 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake たとえどんなにエホバが間違っていようとも、私はエホバの側に立つ - すべての夢のたび。 エホバの証人(もの… 2009-03-18 WBC2009〜今日の負けは折り込み済みだぜ〜 野球 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090318-00000513-sanspo-base WBC、もしくはキューバと韓国と延々と試合をし続ける地獄。まあ、今日の負けは、いいんじゃねえの? いいよ、むしろいいよ。16日にも書いたけど、最後に勝つ主人公チームは、だいたい苦戦… 2009-03-18 アシタモカイセー、ズ

    2009-03-18
    cometori
    cometori 2009/03/18
    『なーんか、橋があるんじゃねえのかってさ。「案外とほほって思ってるんじゃねえの?」、「いや、実は(笑)」って。』同感。私もそこが数少ない「橋」だと思う。しかも割と幅のある。唯一の橋とまでは言わないけど
  • たとえどんなにエホバが間違っていようとも、私はエホバの側に立つ - すべての夢のたび。

    「エホバの証人」だと語呂が悪いので略したら、なんかとても不遜な感じになってしまいました。 痛いニュース(ノ∀`) : 息子への輸血を「宗教上の理由」で拒んだ両親に対し、即日審判で親権を停止 多くの場合、ぼくは「痛いニュース」と意見を共にするものですが、この事件に関してはエホバの証人側を支持します。というかまぁ、ほとんどの人はふつうに輸血支持でしょうね。エホバ支持は難しい仕事だけど、やらなくては。 では、なぜぼくはエホバの証人を支持するのか? その理由は「どんな宗教であっても、その教義が外部の者によって軽んじられることがあってはならない」と考えるからです。その教義がたとえどれほど馬鹿げたものに見えたとしても、です。教義というのはそのように重要なものだと思います。輸血をして子供の命を救った側は、当然「当たり前のことをした」「良いことをした」と考えているでしょうが、それは外部の人間の価値観です。

    たとえどんなにエホバが間違っていようとも、私はエホバの側に立つ - すべての夢のたび。
    cometori
    cometori 2009/03/18
    趣旨はわかるけど、この件は私は子どもの側に立つ。個人にとって宗教の教義は「それが本人の信条となって確立される(=個人の尊厳)までは」所属する共同体に流通する一規範にすぎない。子にとって親の信条も同様。