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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (5)

  • 朝日社説 米飯給食―「食の教育」のためにも : asahi.com(朝日新聞社) - finalventの日記

    「身土不二(しんどふじ)」という言葉がある。人間の体と土とは一体だという意味だ。明治時代に軍医の石塚左玄らが起こした「養道運動」のスローガンに使われ、「自分の住む土地の四里(16キロ)四方以内でとれた旬のものをべる」ことを理想とした。 そこからマクロバイティクスになり、トンデモになる。 でも、この朝日新聞の社説などは、しかし、偽科学批判の対象にならないんだろう。偽科学批判は市民運動だし、市民運動は基的に左派なので朝日批判はしづらいのだろう。 仏教の伝統からすると、「不二」は「ふに」と読むのだが、養系の人は「ふじ」と言うことが多いように思う。間違いでもないのかもしれないが、ちょっとトンデモ臭がすることろ。 「身土不二」よって、克山病はやむなし、かな。 ⇒JST中国文献ディレクトリ|克山病(Keshan Disease)と心筋糸粒体病(Mitochondrial of Human My

  • フーコーの権力論というか - finalventの日記

    一般的には、フーコーの権力論というのは、権力を国家にのみ依拠させるのではなく、社会全体に網の目のように張られたものとして理解され、いわば、国家権力論と対置されたように理解されている。 これがね、そういう一般的な理解と違うんじゃないかと思う。これを議論するには、きちんとフーコーの原典が必要なんだけど、けどにためらうのは、フーコーって史学的には実はトンデモさん。 一般的には、フーコーが同性愛に関心をもったこともあり、人と人の直接的な差別や権力の関係をアトムとして社会というシステムでどう働くかというボトムアップ的なモデルとして理解されていると思う。 違うと思うのだよね。 フーコーはヘーゲルを継いでいて、社会と国家の差異を前提にしているはずで、国家の成立は市民の成立と同時。ということは、この網の目の権力というのは、社団的な社会と個人の間、と、国家=市民対社団的な社会の間という、二つの軸があると思う

    フーコーの権力論というか - finalventの日記
    cometori
    cometori 2009/04/26
    社会というか国家以前の集というか/(≠共同体)か。
  • ありがちな思想の錯誤 - finalventの日記

    ある年代以上で思想に関わった人間ならほとんど暗唱している吉隆明「マチウ書試論」だけど。 人間は、狡猾な秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである。 全共闘世代が残した唯一の遺産たりえるのはそのあたりかもしれないと少し思う。 finalventに対して、お前は中国に謝罪せよ、イスラエルに加担する卑怯者だ、とか言う日人さんがいらっしゃるが、「人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである」がわかっていないのだろう。そう言う日人とfinalventとは、日国家という関係の絶対性においてまった変わるところがない。対国家の関係における関係の絶対性において、finalventもその批判者も同じ日人として疎外された存在

    ありがちな思想の錯誤 - finalventの日記
    cometori
    cometori 2009/04/25
    ・・・気が重い。
  • ブログが続けられるというのは一種の病気だと思うよ - finalventの日記

    増田⇒文章が書けなくなりました 記事を書いていても楽しくない。 書いた記事を見ても面白くもなんとも無い。 ブログを書くことが苦痛になってしまったのだ。 そういうのもあるかも。 孤独ということかな、つまりは。 ブログとかはけっこう党派性みたいなものが出てくるものだなと思うのは、書くほどに孤独になってくるから、なんとか同じネタで、そしてそれが正義ならなおよし的に、群れざるをえなくなるからだと思う。 人が当に書いたら、当に孤独になるし、当に孤独にさせられる。単純に考えても、個人と個人は思想において対立するものだもの。 趣味とか正義とかそうした共同性において孤独から逃れようとしたらその時点で、ブログは地獄に堕ちていると思う。 まあ、話がそれたな。 こじつけでいうと、ブログは、テーマをもたないことだよ。 自分であり続ける、病気の。

    ブログが続けられるというのは一種の病気だと思うよ - finalventの日記
    cometori
    cometori 2008/11/16
    病気というのはどちらを指して、?/『個人と個人は思想において対立する』/そだな。書くほど、他者の文章に共感するということが無くなった。近しさを感じるという機会にはまだ恵まれているが。有難いことに。
  • うーむ、ちょっと野暮なことを言うと - finalventの日記

    ⇒経営を理解している労働者と、そうでない労働者の格差が拡大していく理由 - 分裂勘違い君劇場 ドラッカーの思想を前期後期、あるいは何期かに分ける定説はないかもしれないし、初期からずっと継続されている部分はあるんだけど。 けど、というのは。 現代日の場合、このエントリの意味でのドラッカーの「労働者」というのは、ちょっとざっくり言うと基的に終わっているんですよ。 ではなにかというと、ドラッカーは「テクノロジスト」と呼んでいます。 ドラッカーというのは、ドラッカー自身を研究したいのでなければ、晩年の物から逆に読んでいくほうがよいです。 で、と、「経営を理解してない労働者は、どんどん居場所がなくなり、年収も下がって」というのは、テクノロジストの課題ではないんです。つまり、現代的な課題じゃないんですよ。 「全世界的なトレンド」という全世界っていうのは均質じゃないし、日はBricsのセクターじゃ

    cometori
    cometori 2008/08/06
    あーなるほど、労働力育成とテクノロジスト養成の差異が見えた。 謝/『「労働者」=テクノロジストの自己マネージメントの部分だけを見ると、なんだこれはライフハックですか萎え、みたいな』・・・わろた(笑)
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