2016年12月25日のブックマーク (3件)

  • 【電遊奇譚:其二】人知れず去っていった天才シューティングゲーマー

    Yについて話す。 はじめて会ったときのYは私の中学校の同級で、いつもクラスメイトに殴られたり蹴られたりしていたせいか、いつの日からか学校に来なくなった。私は友達がひとり減って残念だったが、とくに何もしなかった。勝ったところで楽しみが得られない戦いからは逃げるのがいちばんいいので、Yの撤退はもっともなことだったし、そもそもYの家がどこにあるか私は知らなかった。先生に聞いて会いに行くというのも、なにか彼に同情しているような感じがして嫌だった。 Yは義務教育の成績がいいわけでもなかったし、醜男で会話もうまくなかったが、二人きりで落ち着いて話ができるときには静かにアニメやゲームの話をした。彼は言葉をよく選んで話し、理路整然としたしゃべりかたをした。「意味がある」という理由でガンダムシリーズを敬愛し、「意味がない」という理由でいわゆる「日常系アニメ」を嫌悪していた。好きなライトノベルは秋山瑞人の「イ

    【電遊奇譚:其二】人知れず去っていった天才シューティングゲーマー
  • 【電遊奇譚:其一】 身を滅ぼしてまでゲームに打ち込む理由

    死ぬほど不幸になってもいいではないか。 それも人間の可能性のひとつである。 ――ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『反哲学的断章――文化と価値』 人生をだめにするほどビデオゲームに没頭した経験をもつ人は多くいるだろう。そこからどのようにして生き延びたかが問題だ いまから10年前の2006年のこと、私はもっとたくさんビデオゲームを遊ぶために高等学校をドロップアウトした。これはいい。私はさらに――意識してそうしたわけではないが――それまでにあった交友関係をすべて遮断した。これもまあいい。問題は、それから色々なところでアルバイトとして働き、その店のじゃまをして給料をもらっていたことだ。当時の私がいったい何を考えていたのかは定かではない。確かなのは、ビデオゲームがやりたくて仕方がなかったことだけだ。 そうまでしてやりたかったゲームとは、「Wolfenstein:Enemy Territory」であ

    【電遊奇譚:其一】 身を滅ぼしてまでゲームに打ち込む理由
  • jp.IGN.com - 「バトルガレッガ Rev.2016」 レビュー(今井晋)

    私がゲームセンターに足繁く通うようになり、格的にシューティングゲームにのめり込んだのは2000年代を遥か過ぎた半ばの頃であったと思う。どちらかと言えばケイブ系シューティングゲームを好む私にとって、「バトルガレッガ」は近寄りがたい存在であり、限られたスコアラーのみが触れられる、当時から既に神格化された存在であったように思える。 アーケードゲーム出身のこの奇妙なサウンドトラックは、控えめに言っても私のゲーム音楽観を変えたと思う。 しかし、そんな私でもその「特別さ」だけははっきりと認識していたわけだ。それにはちょっとした事情がある。大学の学部生の頃、私はスタジオ練習よりも部室でダラダラするタイプのサブカル臭にまみれたバンドサークルに所属していた。「ロッキング・オン」の悪口を言いながら、サークル仲間と格ゲーをプレイするような退廃的な日常ではあったが、社会では役に立たないけど、人生にとっては大切な

    jp.IGN.com - 「バトルガレッガ Rev.2016」 レビュー(今井晋)