田尻賢誉●文 text by Tajiri Masataka大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki 5試合に登板し、計772球を投げた済美のエース・安樂智大 歴代最多の甲子園63勝を挙げている智弁和歌山の高嶋仁監督に、こんな質問をしたことがある。「今まで一番後悔していることは何ですか?」と。すると高嶋監督は間髪入れず、こう答えた。 「高塚をつぶしたことやな」 高塚とは、1996年のセンバツで準優勝したときの2年生エース・高塚信幸(元近鉄)のことだ。初戦と準々決勝で完封するなど、140キロ台の速球を武器に準決勝までの4試合をすべて完投。チームを決勝に導く原動力となった。だが、高塚はこの大会の連投で肩を痛め、全国優勝した3年生の夏はほとんど登板できずに終わった。 「2番手で予定していた宮崎(充登/元広島)が大会前に故障したのもあったんですけど、投げるだけなら、他にも
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