Musicに関するcotooyaのブックマーク (11)

  • ヘヴィメタルの閃光②〜ジューダス・プリースト/デフ・レパードほか

    ★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第366回〜YELLOW〜 1970年代後半〜80年代前半、イギリスで起こったNWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)をきっかけに世界へ広まった「ヘヴィメタル」。その後、70年代から活躍するハードロックバンドに加え、LAメタル、スラッシュ・メタル、ネオ・クラシカル・メタルなど様々なジャンルが確立。MTVや音楽雑誌を通じて数々の人気バンドやギターヒーローが誕生した。90年代のグランジ/オルタナ時代には時代遅れの対象にされるものの、ゼロ年代からは世代交代を経てシーンが再燃・活性化。音楽に限らず、映画やコミックやデザインなどポップカルチャーに与えた影響は計り知れない。アルバムジャケットに刻まれたバンドのロゴデザインにも注目してほしい。 あなたの好きな色は?〜TAP t

    ヘヴィメタルの閃光②〜ジューダス・プリースト/デフ・レパードほか
  • 1940年代“R&B”ヒットチャート/アーティスト総括(シングル編)

    「TAP the CHART」第165回は、1940年代のR&Bシングルチャートを総括。 【1940s TOP 20 R&B SINGLES】 *ランキングはBillboardチャートのデータをもとに作成。なお、集計対象はR&Bシングルチャートがスタートした1942年から。( )内はリリース年。 ❶The Honeydripper(Parts 1 & 2) / Joe Liggins and His Honeydrippers(1945)

    1940年代“R&B”ヒットチャート/アーティスト総括(シングル編)
  • 1960年代“カントリー”ヒットチャート/アーティスト総括(アルバム編)

    「TAP the CHART」第161回は、1960年代のカントリー・アルバムチャートを総括。 【1960s TOP 20 COUNTRY ALBUMS】 *ランキングはBillboardチャートのデータをもとに作成。なお、集計対象はカントリーアルバムチャートがスタートした1964年から。( )内はリリース年。 ❶At San Quentin / Johnny Cash(1969)

    1960年代“カントリー”ヒットチャート/アーティスト総括(アルバム編)
  • ヒプノシス〜伝説のデザインチーム

    ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第31回(番外編) ヒプノシス(Hipgnosis) ヒプノシスは、ストーム・トーガソンとオーブリー・パウエルによって結成された英国のデザインチーム(1968年〜1983年解散)。トーガソンは、ピンク・フロイドのシド・バレットやロジャー・ウォーターズと学生時代より親交があり、彼らのアルバムのジャケットデザインを手掛けるようになった。フロイドとヒプノシスは、ロックにヴィジュアル革命を起こす。 フロイドの作品群に象徴されるように、アーティスト名やタイトルの文字を排除した、演出された写真や斬新なデザインだけの表現手段はヒプノシスの真髄であり、ロックのレコードジャケットが芸術的なキャンバスとなり得ることを証明した歴史的な仕事だった。70年代にはコンピュータ処理に対応するため、ピーター・クリストファーソンが新た

    ヒプノシス〜伝説のデザインチーム
  • キース・リチャーズの胸が張り裂けそうな恋から生まれた「Ruby Tuesday」

    ストーンズ60年代の名曲「ルビー・チューズデイ」はこうして生まれた ガサ入れや逮捕劇や裁判など、1967年はローリング・ストーンズにとって非常に風当たりが強い年となった。それはすでにイギリスでは最先端のポップカルチャーやスウィンギング・ロンドンを形成する重要な一部になっていた彼らの影響力を、面白いと思えない権力側が何よりも恐れていた証拠かもしれない。アメリカでも新しい若者の代弁者として、その存在感は渡米の度に大きくなっていた。 そして、ロックがドラッグカルチャーやヒッピームーヴメントと格的に結びついて“少しだけ大人”になる直前の1967年の1月13日、UK12枚目/US14枚目となるニューシングル「Let’s Spend the Night Together」はリリースされた。 「夜を一緒に過ごそう」と歌われるこの曲は、性的なニュアンスを強く漂わせるとの理由で多くのラジオ局では放送禁止に

    キース・リチャーズの胸が張り裂けそうな恋から生まれた「Ruby Tuesday」
    cotooya
    cotooya 2016/01/28
    これは泣ける
  • BLUESの旅路〜マジック・サム/ライトニン・ホプキンスほか

    ★ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第110回 ブルース(正確にはブルーズ)を聴いたり目の前の演奏に接したりすることは、言うまでもなく一つの体験であると同時に、それは時と場所を巡る旅でもある。スタート地点はミシシッピ川、綿花畑、ハイウェイ61……といったところだろうか。長い旅路では様々な人生、苦悩、歓喜といった風景を見ることになる。旅人たちはそれを決して忘れることはできない。 あなたの好きな色は?〜TAP the COLORのバックナンバーはこちらから マジック・サム『West Side Soul』 まずはシカゴより。マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフなど南部出身者のダウンホーム感覚溢れるバンド・ブルースの次世代であり、同時にB.B.キングらの都会感覚溢れるモダン・ブルースの影響も受けた若手ブルースマンたちが1950年代後半に続々

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    cotooya
    cotooya 2015/12/02
    bluesとは旅路。
  • テイラーやケイティだけじゃない! ロックとポップの美女図鑑(60〜80年代・前編)

    以前、【テイラー・スウィフトだけじゃない! 美女揃いのカントリー歌手たち】という企画を配信しましたが、たいへん好評で今でも多くの方々に閲覧されています。加えて、ロック/ポップ分野での美女企画もぜひ!というリクエストもあり、今回はまず、1960〜80年代の美女アーティストを前編・後編に分けてお届けすることにしました。 思えば、音楽そのものやアーティストの魅力だけでなく、ヒット曲の数やジャケ買いといったものを入口に、音楽探求の旅を楽しんでいた人も多いはず。中でも美女入り(きっかけ)には心ときめくものがありました。音楽雑誌のページを切り取ったり、アルバムを予約して特典ポスターをもらったり。 90年代以降は女性アーティストの数や活躍が向上し、彼女たちに対する評価も高まりましたが、60〜70年代のロックシーンに至ってはまだまだその存在は珍しく、80年代のMTV時代になってようやく溶け込んだような気が

    テイラーやケイティだけじゃない! ロックとポップの美女図鑑(60〜80年代・前編)
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    cotooya 2015/10/26
    美女図鑑
  • ロイ・オービソン〜“ビッグ・オー”と永遠の少年たち

    ロック界のVIPたちを少年の心に戻してくれたロイ・オービソン 「1975年に『Born To Run』を作るためにスタジオ入りした時、僕はボブ・ディランのような詩を書き、フィル・スペクターのようなサウンドを作り、デュアン・エディのようなギターを弾き、そして何よりもロイ・オービソンのように歌おうと努力したんだ」 1987年、ロックンロール殿堂入りの授賞式。ブルース・スプリングスティーンはそう言って 自身のアイドル、“ビッグ・オー”ことロイ・オービソンを少年のような興奮の中で紹介した。 それまでの栄光が嘘だったかのように60年代後半からはヒットも一切出ず、長い不遇の時代を送っていたオービソン。しかし、リンダ・ロンシュタットやJ.D.サウザーら様々なアーティストによるカバーやリスペクトを受けつつ、1986年にはデビッド・リンチ監督の映画『ブルーベルベット』に代表作「In Dreams」が使用され

    ロイ・オービソン〜“ビッグ・オー”と永遠の少年たち
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    cotooya 2015/10/18
    偉大なる男
  • キース・リチャーズ〜“逃亡先”で生まれた最高傑作

    キース・リチャーズ(Keith Richards)の27歳 ブライアン・ジョーンズの死やオルタモントの悲劇など、激動の1969年を終えたローリング・ストーンズの次なる試練は、ずばり“金”だった。 驚くべきことにメンバー全員が破産寸前だったという。原因はバンドの財政を握っていた弁護士アレン・クラインとの金銭トラブル、そして当時のイギリスにおける高額な税金徴収にあった。 こうしてストーンズ一行は1971年4月、南フランスへ“逃亡”することになるが、母国を捨てることは、それまでのファンに愛想を尽かされるかもしれない。バンドにとっては致命傷になるとまで言われ、移住計画は大きな賭けだった。 しかし、頂点を迎えつつあった彼らは心機一転、自身のローリング・スートンズ・レコードを設立(ベロマークで有名)。キース・リチャーズ曰く「音楽のエリート集団に加わったような気分だった」R&B/ソウルの名門アトランティ

    キース・リチャーズ〜“逃亡先”で生まれた最高傑作
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    cotooya 2015/09/05
    史上最強のロックアルバムの作られ方
  • 眠れぬ夜のために〜B.B.キングのアーバン・ブルースを聴きながら

    『眠れぬ夜のために』(INTO THE NIGHT/1985) 夜、眠れない…… 誰もが一度は経験したことはあると思う。甘美な眠りをイメージするあまり、焦る気持ちは高ぶり、あるいは余計なことを考えて心配になり、軽く一杯のつもりがつい深酒になってしまう。そうして時計の針だけが進んでいき、気がつけばカーテンの隙間から訪れる朝の陽射しに目が眩む。新しい一日の始まりから疲労と損失のような気分を抱える羽目になる。 アメリカの伝説的な作家スコット・フィッツジェラルドが自身のエッセイ『崩壊』の中でも描いているように、昼間は何でもないことが、深夜になると忘れてきた荷物だって死刑宣告に劣らぬくらい悲劇的な意味を持つ。“魂の暗闇の中では来る日も来る日も時刻はいつも午前3時だ”という、あの有名な一文も綴られた。 映画『眠れぬ夜のために』(INTO THE NIGHT/1985)は、そうした慢性的な不眠症に陥った

    眠れぬ夜のために〜B.B.キングのアーバン・ブルースを聴きながら
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    cotooya 2015/05/17
    先日亡くなったb.b.キングの音楽が印象的に使われていた映画!!
  • ボブ・マーリィ〜心臓の鼓動をとらえた音楽レゲエで世界を一つにした男

    ボブ・マーリィ(Bob Marley)のレゲエ 俺の命より、他の人々の命が重要だ。 みんなを救ってこそ俺はある。 自分のためだけの命なら俺は要らない。 俺の命は人々のためにある。 政治抗争に揺れるジャマイカにはボブ・マーリィの力が必要だった。ボブは敵対する二つの政党の代理人を英国に呼んで休戦協定を仲介。その直後、1978年4月22日にはジャマイカの国立競技場での「One Love Peace Concert」にメインアクトとして出演する。亡命先のロンドンから帰国を決めた理由として語ったのが上の言葉だ。 そして「Jamming」演奏中に、PNP(人民国家党)のマイケル・マンリーとJLP(ジャマイカ労働党)のエドワード・シアガに対して「話があるんだ。二人ともステージに上がってきてくれないか」と呼び掛ける。 聞いてくれ。 すべてを解決するために心を一つにしよう。 至高の精神である皇帝陛下ハイレ・

    ボブ・マーリィ〜心臓の鼓動をとらえた音楽レゲエで世界を一つにした男
    cotooya
    cotooya 2015/05/11
    今日が命日。ボブマーリィの人生。
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