人形があまり得意ではない。どこか気味が悪いのである。人形を怖いと初めて感じたのは、小学校に上がる前頃に髪の毛の伸びる市松人形の怪談を聞いたときかもしれない。人形自体というよりも、それに生命が宿ると感じられること、そこに何かが存在する気配が不気味なのかもしれない。しかし、人形とはそもそも生命を呼び込むことを前提としたものなのではないか。金森修の遺作である『人形論*1』を読み、この著作をめぐる対談を聞き*2、登壇者の菊地浩平氏の『人形メディア学講義*3』を知って、この考えが強くなった。 *1 金森修、『人形論』、平凡社、2018年。 *2 2019年3月28日に武蔵大学にて行われた、表象文化論学会の企画による、本webニュースレター『REPRE』36号掲載用の対談「金森修『人形論』を読む」(登壇者:松浦寿輝、菊地浩平;司会:香川檀、鯖江秀樹)。 *3 菊地浩平『人形メディア学講義』、河出書房新