私が東京でひとり暮らしをすることについて、賛成してくれたのは父だけだった。 母は真っ向から反対はしなかったものの、私とふたりきりになる度に「友達おらんと寂しいやろ」「〇〇ちゃんも△△ちゃんもみんな地元残るって」という切り口で説得を試みてきた。 私は、「〇〇ちゃんも△△ちゃんもみんな持ってるって言ってもゲームボーイ買ってくれなかったくせに」と反論した。18歳の私は結構クレバーだったのだ。 祖父母は、「東京には狼がおる、危ないからアカン」の一点張りだった。 私は「岐阜にも熊おるやん」と反論した。たぶんそういう意味ではないと気付いたのは、割とあとになってからだった。18歳の私は、結構バカだったのだ。 すったもんだの末、不合格だったら地元に残るという条件付きで東京の大学をふたつ受験させて貰い、運良く合格した。青山にキャンパスがある共学の私大と、小平市にキャンパスがある女子大だった。 母と祖父母は、