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2010年11月24日のブックマーク (2件)

  • たくさんのモノに囲まれる不幸せ | シゴタノ!

    最近、二回ほど「ちょっとした引っ越し」を経験しました。(自分とか家族とか) その時に改めて思ったのです。 自分、他人限らず、なんでこんなにモノが多いのか、と。 豊かで、モノが「あふれる」国Japan。果たしてこれは幸せなのか、と。 あふれるモノがメンドくさい 十分あるのではなくて、必要以上にあるんじゃないだろうか?捨てづらくて取っておいたんだけど、ホントにこれは必要なんだろうか? わりと田舎に住んでいるワタクシですが、都会であればあるほど「モノが多い」悩みは深刻だと思います。モノが多ければ多いほど、持ってるだけで余分に「場所代」がかかっているわけです。 また、物理的な場所の問題に加え、モノが多ければ多いほど、管理の煩雑さが増していきます。この精神的なメンドくささもイヤです。 持っていると思っても、見つけられなかったら持っていないのとほぼ同じ。だったら、出来るだけ持っているモノを減らしたいで

    crode
    crode 2010/11/24
    写真に撮ったり自炊したりしてデジタルでも溜め込む人は、どんなに「モノの無い暮らし」をしよう、と叫んでも心の中の執着心を捨てられてないから、結局精神的には変わらないよw。本当に捨てられる人はそれもしない
  • もう幕を閉じたら?「日本カー・オブ・ザ・イヤー」 もはやまったく意味がない日本の「イヤーカー」選び | JBpress (ジェイビープレス)

    しかし、こうした「イヤーカー」選びイベントは、今となってはその役割を自ら放棄した状況を続けている。したがって、黙殺していただいてかまわない。 かつて日でこの催しを立ち上げた出版社の中で事務方を担当し、その後、自らも選考委員に名を連ねたことのある者として、今回はその内情を語っておきたい。「技術立国論」としては枝葉末節の話ではあるけれども、これもまた日的な事象の一例、ということで。 元々は「年男」「年女」を選ぶ内輪のお祭りだった 元々日で「カー・オブ・ザ・イヤー」というタイトルを与えるクルマを1年に1つだけ選ぼう、という催しを始めたのは、今はなき「モーターファン」誌(1995年休刊)であった。 その第1回は70年。この年の秋、東京モーターショーのシーズンまでに出た新型車を選考の対象とし、年が改まる頃までに決定・発表するので「1970-1971年次」とする、というのも、この最初の「イヤーカ

    もう幕を閉じたら?「日本カー・オブ・ザ・イヤー」 もはやまったく意味がない日本の「イヤーカー」選び | JBpress (ジェイビープレス)
    crode
    crode 2010/11/24
    それを決めるのはスポンサー。イヤーカー選びの過程はともかく賞の結果はわりと妥当だと思うのはなぜだろう。