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ラノベとセルクマに関するcrow_henmiのブックマーク (8)

  • シュヴァルツェスマーケンラジオ第3回で言い残したこと

    現場猫教授 @Dr_crowfake 「信じるだの裏切るだの、そういう無神経な関係を他人に強要するな!」(押井守・大野安之「西武新宿戦線異常なし」) 現場猫教授 @Dr_crowfake 「東ドイツ滅亡後のことまで考えてドクトリンを構成している西側諸国」「西側から「滅んで当然」と思われている東ドイツ」という絶望をいかにして乗り越えるかのひとつの答えが「信じるだの裏切るだの、そんな無神経な関係」を超えたところにある戦場での絆であったというところを評価したかった。 現場猫教授 @Dr_crowfake 「たとえそれが敵性勢力であろうと、その場所で生き延びるためには切り捨ててはならない手札であり、なおかつそれぞれが尊厳を持った存在である」ということを「血」で贖う重さ、みたいな話もしておきたかった。

    シュヴァルツェスマーケンラジオ第3回で言い残したこと
  • 「コードギアス」と「羽月莉音の帝国」に見られる決断主義者の社会との対峙(メモ) - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)

    「コードギアス」と「羽月莉音の帝国」について、いささか思うところがあったのでメモ。 いわゆる決断主義的アティチュードによって主人公のマニューバーが決定されていることから、両作品は決断主義的と一部の人には捉えられそうだが、両作品の質は、自己の欲望が世間という中間項を貫通して世界全体にまで至るエスカレーションである。決断主義はセカイ系の奇胎であるがゆえにセカイ系的な現実認識の歪み――すなわち世間や社会という中間項を迂回して直接世界全体と接続すること――をも継承しているが、両作品においては中間項における現実的諸問題との対峙/克服と、それにともなう具体的な闘いの技法がプロットの重要な局面として描かれる。特に「羽月莉音の帝国」においてはそれこそが物語の中心モチーフである。 コードギアスにおいては「世界は自己の思惑とはかかわりなく勝手に自己へと侵入してくる」という伊藤計劃の謂があてはまるかのように、

    「コードギアス」と「羽月莉音の帝国」に見られる決断主義者の社会との対峙(メモ) - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)
    crow_henmi
    crow_henmi 2011/02/28
    誤字ってたので修正。
  • みんな大好きな戦争――世界内戦における現代ファンタジー的想像力についての備忘録 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    初出2010年6月ごろ。 カール・シュミット「パルチザンの理論」で、現代ファンタジーのうち、特に絆と世界内戦的状況に重点をおいたものを語ってみるためのメモ。われながらこじつけが過ぎると思うが、誰かの思考の肥やしにでもなれば幸いです。 文 現代ファンタジーあるいは現代伝奇などと云われる想像力というのは、まずその核心に「中心対周縁」の対立構造をもって現れた。それは大きな物語とそれに包摂されないものという対立関係であり、周縁から中心へと、日常を異化する「不気味なもの」の侵攻という構図をとった。だが、後期近代における社会の脱呪術化がもたらした「平坦な日常」――すなわち極限まで周縁的なるものが排除された世界観は、その「中心対周縁」という構図を無効化した。 しかしながら「平坦な日常」は、その必然として「中心」が存在したがゆえの求心力を失い、分断され、衰退しつつある。そこにおいて世界の連続性は失われ、

    みんな大好きな戦争――世界内戦における現代ファンタジー的想像力についての備忘録 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
  • 中二病という桎梏――現代伝奇はこの先生きのこることができるか―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    2010年1月22日更新。 「中二病と云う言葉が使われる度に、世界から大切なものがひとつ消えていく」 ――元長柾木―― 中二病とか云って現代伝奇のテンプレ要素が否定されて行く時代に、ぼくたちはどうやって現代伝奇を書けばいいのか問題。 中二病同士が己の尊厳をかけて邪気眼バトルする話が現代伝奇の来の姿であり、いまでも売れ線の作品に多く見受けられるが、その想像力はすでにネタ化され、アイロニカルに語られるものになりつつある。ここでも使っている「中二病」あるいは「邪気眼」といった概念によってネタ化された現代伝奇の想像力は、ある種の行き詰まりを見せていると云えるのではないか。 しかしなぜこのようなアイロニカルな変容を、現代伝奇の想像力は経てきたのだろうか。そこには「時代的感受性のアイロニカルな変遷」というものが関係しているように思われる。具体的にはどういうことか。 まあこれはいつもの後期近代論とポス

    中二病という桎梏――現代伝奇はこの先生きのこることができるか―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    crow_henmi
    crow_henmi 2010/01/22
    中二病や邪気眼と現代伝奇のこじれた関係を、現代伝奇がいかにして克服するかについて。
  • 「ぼく」が「ぼくら」へとつながる意義――「とらドラ!」に見る後期近代と、そこにおける生の存在論的根拠―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    とらドラにオラクル不在問題(俺命名)について少し書くことにする。 この問題は「週末に「とらドラ!」の原作読んだけどよ」という増田のエントリの中で取り上げられ、それに対し有村悠氏が「『とらドラ!』について少し考えてみた」というエントリーにおいて、大体の要点を抑えたアンサーをしているのだが、これについてもう少し深く掘り下げたり我田引水してみたい。具体的には、オラクルが「物語中で」「登場人物によって」希求されているにも関わらず「不在であること」の意味――「『みんなが物事を自分ひとりで解決していかねばならない』という困難の存在」の理由と意味を、もう少し深く考えてみようと思う。 この問題に対して、増田は共同体の崩壊に、有村氏はより限定的に家族共同体の崩壊にその理由を見出したのだが、これは「再帰的近代化」における「ゲマインシャフトのゲゼルシャフト化」によるものだといえる。社会システムの発展と高度経済成

    「ぼく」が「ぼくら」へとつながる意義――「とらドラ!」に見る後期近代と、そこにおける生の存在論的根拠―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/02/09
    再帰的近代におけるコミュニタリアニズム願望がヲタカルに影響を及ぼしている件について。/id:inumash アメリカで50年代なら後期近代に入りつつあると思うので通史的に普遍的かどうか。
  • もし「涼宮ハルヒの憂鬱」が60年代学生運動を背景にしたドラマだったら - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    ハルヒ第2期情報と、先日放送していた安田講堂攻防戦を見て、ふと思いついたネタ。元々はTwitterで書いたのだが、結構Favられたので再掲。 「ただの人間には興味ありません! この中に革命的プロレタリアート同胞がいたら、私のところにきなさい!」と入学早々トラメガでぶちかますハルヒ。それにオルグされるキョン。気が付けばノンセクトラジカルの活動組織「世界を大いに革命する涼宮ハルヒの団」が結成されてる。 文芸部の部室を溜まり場として空回り気味の学生運動に熱中するハルヒ一同。構成員はインテリ天然左翼の長門、道端でオルグされたみくる、公安のエスの古泉*1。最初はアジプロとオルグ中心の活動だったのが、だんだんとエスカレートして行き、デモ参加、党派との接近、そして武装闘争にまでいたる。 先鋭的な党派への合流を選んだハルヒと、袂を判ったキョン。ハルヒはその後パレスチナに行ってアラブゲリラと共闘。2000年

    もし「涼宮ハルヒの憂鬱」が60年代学生運動を背景にしたドラマだったら - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/01/15
    もうちょっと細かいディティールを書き込めるような。/id:REV そうそう、ブントの国会前デモの群集を見て自分の小ささを知るハルヒ。/id:tetracarbonyl 意味不明瞭。/あー、なるほど。
  • 2007-11-16 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - アメリカの不安――孤独な体制内反逆者たち

    気が付けば10日もblog放置プレイ。主に余暇は積読を崩していた。そのおかげで、すこし書くこともできたので、まとめて書いておく。 それはそうとして。「ナイトウィザード」の柊連司が、現代学園異能的に面白いキャラだと思う昨今。一般的に現代学園異能というのは「ごく平凡な日常にいる少年が「異界」との接近遭遇によって非日常の世界へと参入するはめになる」パターンが多いのだけど、彼の場合、はなから彼岸の人間である。まあ、それ自体は良くある話だ。「スケバン刑事」における学生刑事みたいなもんだと思えばいい。 にもかかわらず、柊連司は「学校に行きたがる」し「普通の学園生活」をしたがる。非日常の人間であるにも関わらず、徹底して日常に固執し、そして非日常の人間ゆえにそれが果たされることはない。「世界は俺を学校に行かせない気か!」という彼の魂の叫びは、まさに真実であるがゆえに、乾いた笑いを呼び起こす。「彼岸に足を踏

    2007-11-16 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - アメリカの不安――孤独な体制内反逆者たち
  • [小説]「ぼくと魔女式アポカリプス」に見るゼロ年代の想像力 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 2007-08-31

    1日で1kgやせるほどに外回り。死ぬぜ。水分補給してたのになあ。でも帰ってきてから水分補給しまくっているので、すぐに元の体重に戻る。アルェー? 帰りがけに図書館に滑り込みセーフして、山のようにを借りてくる。しかし積読多いのになにやってんだか。 「ぼくと魔女式アポカリプス」においては、セカイ系と決断主義の想像力が色濃く見える。 あらすじはこうだ。主人公はヒロインとの出会いをきっかけにして、ある種族の再生と、他の種族の滅亡をかけたデスゲームの参加者――代替魔術師にされてしまう。代替魔術師は、すでに死亡した存在であり、それぞれの種族の持つエネルギー源によって「生かされている」存在である以上、基的にそれぞれの種族の基目的――他の種族を滅ぼし、それが持つエネルギー源を奪取することで、種族の再生を行う――に従わなければならない、という設定がある。 このように「きみとぼく」の出会いが「それぞれの世

    [小説]「ぼくと魔女式アポカリプス」に見るゼロ年代の想像力 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - 2007-08-31
    crow_henmi
    crow_henmi 2007/08/31
    ゼロ年代の想像力に対する批評的立場を固持しつつ、ウェルメイドに収めた作品といえるかな。と付記。
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