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倫理とセルクマに関するcrow_henmiのブックマーク (3)

  • ポストモダン社会におけるレスポンスビリティと決断の倫理 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    「ポストモダニズム系リベラルの世界も大変だ - 過ぎ去ろうとしない過去」を読んで思ったことなど。 おそらく、レスポンスビリティは「趣味」の問題としても発生しうる。あるものが声を上げたとき、それに対してどう振舞うかを決めるのは趣味であろうとなかろうと究極的には自分だ。そこには決断という自己決定がある。その意味で、決断とは倫理の問題ではないだろうか。 決断を行うこと、それを再帰的に展開していくこと、あるいはそれを途中からコミュニケーションの様相に応じて変化させていくこと、そしてその結果を引き受けていくこと――それはやはり「趣味の問題であろうとなかろうと」ひとつの倫理なのだ。それゆえに、けして「趣味の問題」などというカジュアルな言葉で切り捨てるわけにはいかない、独自の深刻さと戸惑いというのがポストモダン・リベラルにはある。 その深刻さと戸惑いとは、とりもなおさず自己が無根拠の中から何かを選択しな

    ポストモダン社会におけるレスポンスビリティと決断の倫理 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/06/04
    ポストモダン的な状況で「正しく」振舞うことの困難。倫理と超越論的正しさが接続されないことについて。
  • 卵と壁のアナロジーの欺瞞――村上春樹エルサレム賞講演についての雑感―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

    人は卵であるとともに他者にとっての壁でもある。ほうっておけば互いにぶつかり合って粉々になる。それを互いに避けるため、それぞれ似た形の卵が互いに力学的に支えあう形の卵ケースに入ることで、互いにぶつかり合うのを避ける。しかし卵ケース同士もまたぶつかり合う。それを避けるため卵ケースの間に緩衝材を入れ、互いに支えあうようにして箱詰めする。だが卵の箱詰め同士がぶつかり合うことを和らげる仕組みはまだ完成していないし、それどころか卵ケースや箱自体の梱包が緩んできている、というのが現在だ。 ここでいう卵のぶつかりあいとは排他的権力関係、卵ケースや箱は排他的権力関係を緩和/止揚するための中間集団や国民国家などと考えて良い。これらの効力は再帰的近代化やグローバリゼーションにより失効しつつあるし、国民国家間の利害を有効なレベルで緩衝し得たものはただひとつ、恐怖の総和にほかならなかった。そこから垣間見えるのは、む

    卵と壁のアナロジーの欺瞞――村上春樹エルサレム賞講演についての雑感―― - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/02/18
    id:j-kondo まさにその「誰もイノセントでありえない」という前提を否定しているのがほかならぬ村上春樹だという話をしているのだけど?
  • 2007-12-04 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - ヘンリエッタとジェイソン・ボーン――あるいは例外状態の倫理

    禁煙中断日。1しか吸いたくないのに1箱単位で売っているから始末に終えない。いっそ1吸った後に捨ててしまうべきだろうか。120円のばら売り自販機とかあればステキなのだけど、まあ、現実的には無理だろう。あるいは、配給制で1日5とか。そういう喫煙ライフにあこがれつつ、1箱の重さをずっしりと感じる。これだけ吸ったらまたニコ中に逆戻りじゃないか、と。なんとか数日に分けて吸おう。 伊藤計劃氏のエントリから触発されたネタなのだけど。 ジェイソン・ボーン・シリーズの概括を見ていて、なんだこれガンスリとたいして変わりないじゃん、とか思った俺ガイル。工作員を条件付けしてデュー・プロセスなしの自国内向け非合法特殊工作に放り込むというのは、ブラックブライアーと社会福祉公社にしかできない荒業といえよう。なにかの手違いで、フラテッロから離れ、記憶を喪失し、自らのアイデンティティを探すために戦う――そして「帰っ

    2007-12-04 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - ヘンリエッタとジェイソン・ボーン――あるいは例外状態の倫理
    crow_henmi
    crow_henmi 2007/12/04
    ↓ラドラム「暗殺者」(ボーン・アイデンティティーの原作)も面白いので一読どうぞ。
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