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物語論に関するcrow_henmiのブックマーク (121)

  • ゼロ年代における「契約から再契約へ」の想像力 - ピアノ・ファイア

    お久しぶりです。 先週末は東京に出ていました。合計して27人との出会いがあり、七人の編集者さんと話しこんだり、小林尽に会ったりしていたのですが、このブログの更新再開一発目は、20日に催された「海燕オフ」発祥の「契約→再契約」の話をしたいと思います。 http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080922/p1 あと、決断主義批判と「契約」「再契約」の話はおもしろかった。 くわしく語りはじめると長くなるので省略するけれど、2000年代以降のエンタメ作品では、『Fate』や『コードギアス』など、しばしば「契約」というモティーフが取り上げられる。 しかし、「契約」をあつかった物語では、かならず「再契約」が語られるものなんだ。という内容でした。 http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080921/p3 こういう「構造の流れ」はどうもありそ

    ゼロ年代における「契約から再契約へ」の想像力 - ピアノ・ファイア
    crow_henmi
    crow_henmi 2008/09/24
    契約が主体の自由意志に拠ってなされるかのごとき把握は素朴にすぎる。コンテキストの変化として読むべき。碇シンジの決断に対する退路の設定は、あらかじめ「仕組まれたシナリオ」への弁解としてある。
  • 二度殺された死者と「二重の光輪」 - 一本足の蛸

    私たちは事件が何を意味するのかを知るために、死者たちをただの「記号」として、「数字」として、「誰でもよかった死者」として扱うことを強いられる。 このとき死者たちは二度殺されている。 一度目は「メッセージ」を書いた犯人によって、二度目は「メッセージ」を解読しようとする私たち自身によって。 笠井潔は、『探偵小説論』において、探偵小説は大量死の時代に抗して、フィクションの世界で固有の人間の死を復権させる試みであり、そこで死者は犯人による巧緻を極めた犯行計画という第一の光輪と、それを解明する探偵による精緻な推理による第二の光輪によって、世界大戦で塹壕に積まれた無数の死体の山と比較して、二重の光輪で選ばれた者となるとした。(しかし、このような探偵小説特有の死体粉飾は、死者にとっては大きな迷惑であり、死体冒涜的なのではなかろうか?また、『哲学者の密室』で笠井潔は、密室の質直観を「特権的な死の封じ込め

    二度殺された死者と「二重の光輪」 - 一本足の蛸
  • イベント向きのシナリオ - やにやに日記

    イベント向きのシナリオ イベント、というのはこの場合主に、プレイヤーが事前に特定できない&制限時間が設定されている、という意味で使っています。 先に結論を書くと、「シナリオの焦点が明確で」「序盤*1に卓全体が盛り上がるシーンのある」シナリオがイベント向きだと個人的に考えています。それを端的に表わす概念が「探偵に面白い依頼が来るシナリオ」というものです。 もちろん、他にもバリエーションは無数にあるし、端的に言えばプレイヤーが楽しめるシナリオであればなんでもいいわけです。「イベント向けのシナリオはこうでなければならない」という主旨ではありません。イベント用にプレイしやすいシナリオの、いくつもあるパターンのうちひとつ、程度の話*2。 シナリオの分類 自分でシナリオ──ここからは『トーキョーN◎VA The Detonation』に限定します──を作る場合、大きくは「身内向け」と「イベント向け」で

    イベント向きのシナリオ - やにやに日記
  • 物語と倫理 - tukinoha’s blog

    俺が文学や芸術を使って社会・政治・宗教・倫理についてメッセージを発したり干渉しようとしたりする試みに距離を置くのは、インチキがやり放題だからだ。社会・政治・宗教・倫理が「実際にどう効果するか」を議論するものであるのに対して、文学や芸術は、実際的な効果を捨象し、「どのように表現すれば受け入れられやすいか」を探求するものだからだ。文学や芸術のテクニックを用いて行われる言明はなんでもありのインチキだ。たとえば、「サルにでも描けるまんが教室」では、実際に、包茎禁止法推進漫画と包茎禁止法反対漫画をまったく同じ絵面、コマ割、ストーリー展開で、吹き出し内の単語を単純に入れ替えるだけでやって見せている。 はてな 物語でのみ描きうる倫理的主張というのは存在するのか、ということは割と重要な問題ではないかと思います。この場合「倫理とは何か」ということから考えなくてはいけないわけですが、仮に倫理を何らかの普遍的な

    物語と倫理 - tukinoha’s blog
  • http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080206

  • http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20080204

  • 2007-12-17 - NaokiTakahashiの日記 - 濃さで勝負するとすぐ飽和する

    crow_henmi
    crow_henmi 2007/12/17
    濃淡の選択は合目的なものであるべき、というべきかしらん。
  • 『ひぐらしのなく頃に解』−「犯人の心情を理解すること」の欺瞞 - tukinoha’s blog

    毎年1人が死に、1人が消える「雛見沢連続怪死事件」。萌えと謎とホラーが入り混じった問題編が4つと、それらをバラバラのかけらに戻し、望ましい姿に組み直す解答編が4つ。物語は先日の放送でいよいよ解答編のラスト「祭囃し編」へと突入しました。 物語の謎と悲劇を全て清算し、長い長い物語に「オチ」をつける重要な部分です。ただ、僕が『ひぐらしのなく頃に』という物語の中で一番くだらないと思っているのも、やっぱり「祭囃し編」なんですよ。 「祭囃し編」は物語において主要な謎である「雛見沢連続怪死事件」における「犯人」の幼年時代の描写から始まります。アニメ版で先日放送されたのがそれなんですけど、原作でも同じように思ったのですが、ここが単に蛇足であるというだけでなく、作品全体の完成度を著しく下げているように思えてなりません。 「犯人」の生い立ちを描いていく、というのは、例えばトマス・ハリスの『レッド・ドラゴン』な

    『ひぐらしのなく頃に解』−「犯人の心情を理解すること」の欺瞞 - tukinoha’s blog
    crow_henmi
    crow_henmi 2007/10/18
    フランシス・ダラハイドで成功したことがハンニバル・レクターで失敗するという相違に着目するといいかも。/ちょっと考えてみようかな。
  • ■ - 八月の残りの日

    http://blog.livedoor.jp/soylent_green/archives/51132622.html 女の子がぞろぞろ出てくるのはハーレムものの基なのでいいとして、乱入してきた不良たちを女の子キャラが一人でやっつけたのは気になった。そういうのが可能なのはギャグマンガだし、ヒロインの両親を見るとギャグ路線なのかもと思うがこの作品はメロドラマかなんかのはずで、となるとリアリティレベルをどう設定しているのかさっぱりわからない。新海誠の作品だと思ってみていたら途中で『うる星やつら』になったようなモヤモヤとした気分になってしまった。それとも最初にヒロインがいきなりアンパンがどうのと言い出したときに「これはコメディだ」と理解すべきなのだろうか。作画の水準が高いがゆえにかえって物語上のウソが作品に馴染まなくなっているということなのか。 たぶんこういうリアリティ(レベルの混在)を、ひ

    ■ - 八月の残りの日
  • NaokiTakahashiの日記 - 「School Days」12話の感想

  • 創作作品はみんなアートだ。

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  • NaokiTakahashiの日記 - 終わらない前夜祭の終わり

    crow_henmi
    crow_henmi 2007/09/20
    >それでもなお何かをやらかしてしまうダメ人間を書こうとすると、それは、自分が見えていない、自省心の欠落した道化にならざるを得ない。
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
    crow_henmi
    crow_henmi 2007/09/20
    >監視カメラ帝国ではキミとボクの空間を持つこと自体が世界との闘争にならざるを得なくなるかもしれない。
  • 絆のイデア - matakimika@hatenadiary.jp

    延々もやもや中だが煮詰まってきたので吐き出し。ゲームにおいて「深い絆で結ばれた仲間たちと広い世界を冒険する」っていうお題目に魅力を感じるか否かはさておいて、また正しいか正しくないかでいえば正しいんだろうなあと判定するとして、その具体例として挙げられているタイトルが聖剣伝説 2 だとか FF 3 だったりの、オフライン世代の RPG だったとき、我々はどんな顔をすればいいのか問題。 「深い絆で結ばれた仲間たちと広い世界を冒険するゲーム」という題目を現代向けにオタ機械翻訳すると「パーティ強制型の MMORPG で廃人になる」というかんじになってしまうと思うので、確かに現状は(そのような欲望を幸福に具現化するのがむずかしいという意味で)あまり豊かだとはいえない。 その点 XBOX Live などで実現されている「浅く短間隔の関係性で結ばれたフレンドたちと狭いマップで対戦または CO-OP する」

    絆のイデア - matakimika@hatenadiary.jp
  • 二次創作(を/から)視る

    第一章 序論 第二章 二次創作はいかに語られてきたか 第一節 二次創作という語が含意するもの 第二節 先行研究の概観Ⅰ 第三節 先行研究の概観Ⅱ 第四節 二次創作をいかに語るか 第五節 調査対象と方法 第六節 想定される制作者と作品の傾向 第三章 創作と模倣の現場からⅠ(作品の推移) 第一節 調査対象と方法 第二節 二次創作が芽吹く場所 第三節 枝を伸ばし始めるジャンル 第四節 投稿サイトという陽だまり 第五節 蓄積される類型は年輪のように 第六節 実り始める二次創作の「次」 第七節 空洞化と枯死の予感 第八節 失われた原作の墓標としての二次創作 第四章 創作と模倣の現場からⅡ(インタビューから) 第一節 調査対象と方法 第二節 動機とその表現Ⅰ(基的な型) 1. 私のための二次創作 2. 売れ筋としての二次創作 第三節 動機とその表現Ⅱ(既存作品の影響) 1. 語り損ねた人々 2. 二

    crow_henmi
    crow_henmi 2007/08/29
    エヴァ二次創作から見る二次創作の構造。
  • 物語の不気味の谷、それに対抗する試み - end-of-scan

    ぐだぐだと書いてみる。 先日「ダイ・ハード4.0」を観てきたんだけど、ラストがこれまたイヤーな後味だった。マクレーンが「俺は英雄なんかじゃない」なーんてことを車に同乗するコンピュータおたくな青年に言うシーンが途中にあって、ラストに青年に向かって「お前も英雄だ」なんてことを告げた後に娘と病院に向かって終わり。アクションのどたばたで娘と絆の確認はしたけど、どーもしっくりこない。結局マクレーンはどこまでも一人であるように感じてしまう。「スパイダーマン3」もそんな映画だった。ハリーの憎しみは消えMJとのわだかまりもなくなって、ピーター・パーカーは絆を再確認しているようなんだけど、やっぱりしっくりこない。脚がどんなに策を弄しても、ヒーローたちが当に絆を確認したようには感じないし、帰る場所を見つけたとは思えない。とってつけたような物語の終わり。 ヒーロー、王、真理を知る者が孤独ってな話は、それこそ

    物語の不気味の谷、それに対抗する試み - end-of-scan
  • つまり携帯小説は伝奇小説であって - end-of-scan

    夜の街から越境してやってくる異能の者であるホストはサンカ*1なんだろう。彼女たちはホストたちに理不尽に恋愛感情や命を持っていかれている。彼らに交わることで脱中心化を果たしている。新伝奇については笠井潔が「空の境界」の後書きで気合の入った評論を書いていたっけ。 そう考えれば、携帯小説をくだらんというのはナンセンスだといえる。問うべきなのは、携帯小説の世界の周縁がどこにあるのか、てことだろう。 *1:ホストの人たちを神聖化する積もりも蔑視する積もりもなく、サンカ文学という枠組みでの一つの役割として書いています

    つまり携帯小説は伝奇小説であって - end-of-scan
    crow_henmi
    crow_henmi 2007/08/27
    >夜の街から越境してやってくる異能の者であるホストはサンカ*1なんだろう。彼女たちはホストたちに理不尽に恋愛感情や命を持っていかれている。彼らに交わることで脱中心化を果たしている。
  • デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド - 自然主義的リアリズムとまんが・アニメ的リアリズム - 宇野常寛が見落としているもの

    S-Fマガジン 2007年 09月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2007/07/25メディア: 雑誌 クリック: 6回この商品を含むブログ (32件) を見るようやくというか何と言うべきか。1ヶ月近く遅れてしまったが『ゼロ年代の想像力』第3回を読んだので言及しておこうと思う。今回の要旨をまとめると次のようになる。 90年代前半までを支配したジャンプ的なトーナメントシステムとは、社会が用意したルールの中で戦うことを意味している(筆者註:これは大きな物語を指していると思われる) そのシステムの崩壊は、震災+地下鉄サリン事件エヴァが象徴的な1995年に起こった。同年、ジャンプの人気を支えていた『ドラゴンボール』と『幽遊白書』の連載が終了、トーナメントシステムの時代が終わりに向かう。ここから時代は決断主義/サヴァイブ感の準備期間に入る 9.11、ネオ・リベラリズムの登場。引

    デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド - 自然主義的リアリズムとまんが・アニメ的リアリズム - 宇野常寛が見落としているもの
  • 非オリジナルはオリジナルに勝てないという仮定の下に徹底的にオリジナリティを追求しようとしたら途中で力尽きました - 魔王14歳の幸福な電波

    MAD(同人)を作るぐらいなら、つまらなくてもオリジナルを作ったほうがいい理由 - replore的日記 リンク先の文中ではMADという言葉に統一されていますが、MAD以外の「非オリジナル」な創作行為全般に対して当てはまる主張も行われています。そういった主張について、気になった点を挙げます。 前提 しかしながらMADというものは所詮は原作あってのものであり、その恩恵を元に作られたものであるので、原作に勝てる訳は無いのである。 何かを元にして作られたものが、元となったものに勝つことはできないという前提がまず提示されます。以降はこの評価軸を元に話が進められていますが、この前提は果たして当でしょうか。 たとえばロックマン2のワイリーステージ曲はもうファミコン版の原曲よりも「おっくせんまん」の方が人口に膾炙していますし、原曲と比して「一瞬の間人気が出るかもしれないけれどもそういったものはすぐに忘

    非オリジナルはオリジナルに勝てないという仮定の下に徹底的にオリジナリティを追求しようとしたら途中で力尽きました - 魔王14歳の幸福な電波
    crow_henmi
    crow_henmi 2007/08/10
    オリジナル性をつきつめていく思考実験の果てに生まれたものは。オチが最凶。
  • 努力型主人公から情報型主人公へ - 萌え理論ブログ

    ストーリーからゲームへ ロリコンファル - IDEAS NOTE −浅田彰と、天才神話と、演出− 努力の没落を、大きな夢(世界征服や人類滅亡)を失って没落した悪役と結びつけて考えているところが、オタキング(岡田斗司夫さん)は流石ですね。 それはまさに、大きな物語が凋落する、という図式ですね。特定の価値を正当化する(メタ)言説が消失すると、欲望を未来に先送りしてまで努力する動機が失われるわけです。これは、虚構の中だけではなくて、現実の(格差)社会でも、似たようなことが起こっていて、虚構作品もそのような世相の変化を反映しているでしょう。 そういう変化を整理して、「ストーリーからゲームへ」という図式で捉えています。ストーリーは始めがあり終わりがありますが、ゲームは筋書きがありません。それに対応して努力型(成長型)主人公から、情報型主人公へ移行していると考えます。情報型主人公は規範意識を欠き、他者

    努力型主人公から情報型主人公へ - 萌え理論ブログ