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ブックマーク / trivial.hatenadiary.jp (18)

  • 第2話で気になった変なところ - 一本足の蛸

    未プレイの人への配慮のためぼかして書くが、「うみねこ」第2話には、第1話の登場人物のほか、もう1人重要なキャラクターが登場する。笑うと「ラーメン発見伝」の芹沢達也そっくりの顔になるので、そのキャラクターのことをここでは仮に「芹沢サン」と呼ぶことにしよう。 ある場面で芹沢サンは推理小説に出てくる密室を小馬鹿にしたような発言をする。それに対して右代宮戦人は次のように応える。 「ひゅうッ!! 言うじゃねぇかよ、推理マニアは怖ぇぞ?! クリスティが墓の下で歯軋りしてるぜ!」 この台詞を読んだ瞬間に「あぁ、駄目だぜ、全然駄目だ」*1と思った。 「えっ、これのどこが駄目なの?」と不思議に思った人には逆に訊きたい。「あなたは密室殺人を扱ったクリスティの小説のタイトルを挙げられますか?」と*2。要するに、この場面でクリスティを引き合いに出すのが全然駄目*3なのだ。同じシーンを奈須きのこが書いたら、きっとジ

    第2話で気になった変なところ - 一本足の蛸
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/02/19
    芹沢さんwww まあ密室云々を語るならカーだよねJK
  • 『うみねこのなく頃に』から連想したお薦めミステリ - 一本足の蛸

    はじめに 先日、『うみねこのなく頃に』(以下、「うみねこ」と略記)の第1話をプレイ終了したところだが、そのあまりにアレなナニのせいでまともな感想文を書くことができなかったので、その代わりに「うみねこ」をプレイして連想したお薦めミステリを紹介することにした。以下、使用上の注意を書いておきます。 この企画は『うみねこのなく頃に』好きにオススメのミステリ小説 - 三軒茶屋 別館から想を得たものであり、その意味では二番煎じといえる。ただし、あちらは第3話までプレイしているのに対し、こちらは第1話を終えたところで投げてしまったので、自ずと連想した作品も違っている。たとえば、『うみねこのなく頃に』好きにオススメのミステリ小説では、『どんどん橋、落ちた』を紹介しているが、第1話の段階では特に似ているところはない*1。 もう一つ大きな違いは、この企画が「うみねこ」好きの人へのお薦めミステリ紹介ではないとい

    『うみねこのなく頃に』から連想したお薦めミステリ - 一本足の蛸
  • 誰でも作れる密室 - 一本足の蛸

    まえがき 以下の小説は文芸スタジオ回廊「雲上の庭園」第2回募集に応じて投稿するために書いたものですが、後述する事情により投稿するのをやめたものです。構想10分執筆1時間、うち40分くらいは1000字以内に収めるための推敲だったという、お手軽チープな作品ですが、そうは言っても書いたものを埋もれさせるのはもったいないので、代わりにここで公開することにしました。 文 「密室殺人なんか簡単さ。僕だって密室トリックくらい思いつくよ」と嘯いた室密(むろ ひそか)が密室状態の書斎で殺されたのは皮肉な話だ。室ご自慢の西洋館「酷使館」での晩餐後、客人たちが歓談中に書斎から絶叫が聞こえ、書斎に駆け寄り樫の扉を開こうとしたが押しても引いても動かない。皆が力を合わせて扉を破ると、室は床に俯せに倒れ、背中には鍔広の短剣の柄が生えていたという次第。窓は内側から施錠され、扉からは壊れた閂がぶら下がっている。皆が扉を破

    誰でも作れる密室 - 一本足の蛸
  • ラノサイ杯の結果に物言いがついたらしい - 一本足の蛸

    少年漫画の人気投票で、美形脇役が上位に来るのは気にならないのですよ。いくら背後にファンロードや腐女子の影がちらついていたとしても。 だって、漫画の人気投票なら、投票者は「すべてのキャラクターを知っている」という平等な条件なんだし。 それに比べるとラノサイ杯って、ただでさえ投票者が「すべてのライトノベルを読んでいるわけではない」のに、さらに「特定のブログから影響を受けやすい」のですよね。 これを読んでいろいろと考えて文章を書いては消し、消しては書いて、を繰り返したのだが、最終的にぐだぐだになってしまった。以前から考えている「『社会調査としてのラノサイ杯』と『消費者運動としてのラノサイ杯』」というテーマ*1に即していえば、これは「社会調査としてのラノサイ杯」批判ということになるだろう*2が、もう一方の「消費者運動としてのラノサイ杯」についての考えがまとまっていないので。 ところで ラノサイ杯っ

    ラノサイ杯の結果に物言いがついたらしい - 一本足の蛸
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/02/01
    ネットできゃっふきゃっふしているだけのつもりが、いつの間にかバズ呼ばわりされる羽目になる不思議。
  • 事実は何に依存するか? - 一本足の蛸

    事実の所在 - 「で、みちアキはどうするの?」 これを読んでむずむずしてきた。 これを書いた人は、「宇宙が消滅すれば、事実も消えてしまう」と考えているようにぼくには感じられます。そのわけは、たとえば「杉原千畝氏は6千人のユダヤ人の命を救った」とか「南京大虐殺によって×人(不明)もの中国人の命が奪われた」というような“事実”は、たとえ宇宙が消滅したところで無効になったりはしないだろうと感じられるからです。 でもほんとうにそうなんだろうか? なら“事実”はどういった形で存在していると言えるのか? ……ということをきちんと考えていくと、結局「その事実があったという信念が、それぞれの人の頭の中に存在する」ということになりそうな気がするのです。「誰もいない森の中で木が倒れたとき、音はしたのかしなかったのか」というあれと同じです。“過去”と似てるかも知れません。過去はどこかに存在するわけではなくて、記

    事実は何に依存するか? - 一本足の蛸
  • 死刑制度を支持するということは、自分で手を下してでも死刑を執行したいということだ - 一本足の蛸

    ……という挑発的な見出しを思いついたのだが、それに見合った挑発的な内容が全然思い浮かばない。 中には「極悪人は自分の手で処刑してやってもいい」という人もいるだろうが、たぶん、大部分の人は「死刑には賛成するけど、自分が執行するのは嫌だなぁ。そのために刑務官がいるんでしょ*1」と思っているのではないだろうか。「死刑に賛成/自分が執行するのは嫌」というのは「肉はべたい/自分で屠畜するのは嫌」に似ている*2ように思うが、さて、このような考え方をどう評価すべきか。 そういえば「定額給付金には反対だけど、実施したら受け取るつもり」という考えはどうか、という議論もあったなぁ。 *1:もちろん、死刑を執行するために刑務官という職が置かれているわけではない。 *2:ただし、一方は社会制度の話で、もう一方は個人的な嗜好の話だから、完全に同型だということはないはず。

    死刑制度を支持するということは、自分で手を下してでも死刑を執行したいということだ - 一本足の蛸
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/01/20
    つ【社会的分業】
  • 「聖地巡礼」は日本の風景の再発見のことと見つけたり - 一本足の蛸

    北日新聞 2008/12/31付け朝刊に、富山の城端を舞台のモデルにした「true tears」についての記事があったので紹介。 …で、この記事を読んでふと思いついた事を一つ。これって「アニメをきっかけにした日の風景の再発見」だよね? 引用タグのCITE要素でページ内リンクのアンカーまで含めた参照を行っていいのかどうか知らないので、とりあえず上では該当ページURIを書いておいた。引用したのは1月12日付「ついに北日新聞でも「true tears」繋がりで「聖地」「巡礼者」の言及が!」なので、ここをクリックすれば当該記事に飛べます。 さて、題。 物語の舞台やモデルとなった場所を探訪するという旅行スタイルはかなり昔からある。昔は文学作品が中心だったが、今ではアニメが主となっている。そう考えると、昨今の「聖地巡礼」に特殊事情はないことになるのだが、でもやっぱり昔とは何かが違うという気がす

    「聖地巡礼」は日本の風景の再発見のことと見つけたり - 一本足の蛸
  • 生きるということは手段ではない - 一本足の蛸

    しかし。ぼくに言わせると、その思想の一番おおもとにある(暗黙の)前提が間違っているので、そこから展開する論のすべてが無効になっています。その前提とはなにか? それは「生きることにはそれだけで価値があり、人は生きなければならない(死んではならない)」というものです。 そんなものは、フィクションです。ファンタジーです。生とは目的ではなく手段です。生きるのは、なにごとかを為すためです。 だってさー、考えてもみてくださいよ。派遣で安い給料で働いて、辛かったり、苦しかったり、悲しかったりいろいろで、それで派遣切られて、寒かったり悔しかったりで、派遣村に流れ着いて、まだ「仕事をください」と。そこまでして、そこまでして。そこでさ、「あなたは何のために生きているんですか?」って聞かれて、もし答えらんなかったらさ、ごめんぼく笑っちゃうかもしれませんよ。「特にやりたいこともないのに、なんでそこまでする必要があ

    生きるということは手段ではない - 一本足の蛸
    crow_henmi
    crow_henmi 2009/01/09
    過不足なし、歪みなし。
  • 二度殺された死者と「二重の光輪」 - 一本足の蛸

    私たちは事件が何を意味するのかを知るために、死者たちをただの「記号」として、「数字」として、「誰でもよかった死者」として扱うことを強いられる。 このとき死者たちは二度殺されている。 一度目は「メッセージ」を書いた犯人によって、二度目は「メッセージ」を解読しようとする私たち自身によって。 笠井潔は、『探偵小説論』において、探偵小説は大量死の時代に抗して、フィクションの世界で固有の人間の死を復権させる試みであり、そこで死者は犯人による巧緻を極めた犯行計画という第一の光輪と、それを解明する探偵による精緻な推理による第二の光輪によって、世界大戦で塹壕に積まれた無数の死体の山と比較して、二重の光輪で選ばれた者となるとした。(しかし、このような探偵小説特有の死体粉飾は、死者にとっては大きな迷惑であり、死体冒涜的なのではなかろうか?また、『哲学者の密室』で笠井潔は、密室の質直観を「特権的な死の封じ込め

    二度殺された死者と「二重の光輪」 - 一本足の蛸
  • 1回3分の更新で簡単にアクセス数を稼ぐ方法【はてなダイアリー版】 - 一本足の蛸

    はてなブックマーク - 人気エントリーを開く。 いちばんブックマークが多い記事を選んでリンクする。たとえば、今見ると無題のドキュメント とんでもなく綺麗な水の画像下さいだったので、それにリンク。 リンク先の記事の見出しに対して否定的な見出しをつける。たとえば「綺麗な水の画像には毒がある」とか。 見出しから思いついたことを適当に書き散らす。元記事を読む必要はありません。 「保存する」ボタンを押す。 おしまい。

    1回3分の更新で簡単にアクセス数を稼ぐ方法【はてなダイアリー版】 - 一本足の蛸
  • 都市は空洞化し、郊外は荒廃し、山村は消滅する - 一本足の蛸

    ファスト風土に陽は暮れて - シロクマの屑籠(汎適所属) 「ファスト風土」というのはきわめて論争的な言葉で、郊外化現象を現代社会の病理として捉える視点を含んでいるので、このような文脈で用いるのにはやや違和感があるのだが、それはともかく主張の内容にはほぼ同感。実際、郊外に広がった生活・商業空間が今後維持できなくなるだろうという見込みをもって、都市の拡散抑制、再集中政策をとっている自治体が最近増えている。コンパクトシティ - Wikipediaをみると最近の動向や問題がよくまとまっているので、参照していただきたい。 いろいろ問題はある*1が、これからしばらく都心回帰が進むのは間違いないだろう。もっとも、「都心回帰」といっても、行政が考えているような同一地方都市圏内での人口移動ばかりとは限らず、むしろ、大都市圏への人口流出の心配をすべきなんじゃないかという気もする。 かつて、地方の濃山漁村から仕

    都市は空洞化し、郊外は荒廃し、山村は消滅する - 一本足の蛸
  • 脳天気な人 - 一本足の蛸

    「生きているのはつまらない、死んだほうがましだ」と言う人がいれば、こう言ってやろうと思っている。「死んだほうがましかどうか、どうしてわかるのですか? 根拠もないのに、死後の世界に希望をもつなんて、おめでたい人ですね」と。 幸か不幸か、まだこのような会話を交わしたことは一度もない。

    脳天気な人 - 一本足の蛸
    crow_henmi
    crow_henmi 2007/04/19
    全くその通りだと思う。
  • 「あなたが今いちばん関心のあることがらを四字熟語で表してください」 - 一本足の蛸

    街角を歩いていて、見知らぬ誰かにもしこんな質問をされたらどうすればいいだろうか? 誠実かつ真摯に考える人なら、たぶん答えは一つだ。「四字熟語」と答えることになるだろう。 でも、そんな答え方をしたら少なくともちょっと気まずいことになるだろうし、もしかすると単に気まずいだけでなくてより不愉快な事態になるかもしれないと予想できる程度にすれた人なら、もうちょっと別の応答を考えるだろう。 いちばん簡単なのは無視して立ち去ることだが、それでは話のネタとして少し弱い。いや、別にことさらに話のネタを作ろうと努力する必要もないのだが、せっかく向こうから飛び込んできた(?)のだから、何かユニークな回答をして、相手が唖然としている間に悠然と立ち去るほうが面白い。 そこで頭をひねって考えた結果は、「耳少女」だった。 スケッチブックに油性ペンで大きく書いて、質問者に見せたところ、 「これは何と書いてあるのですか?

    「あなたが今いちばん関心のあることがらを四字熟語で表してください」 - 一本足の蛸
    crow_henmi
    crow_henmi 2007/04/17
    「孤独のグルメ」のゴローちゃんなら「焼肉定食」とか答えそうだなあ。
  • クリスマス特別企画:全国不登校児童生徒ランキング2006 - 一本足の蛸

    はじめに クリスマス! 空からはひらひらと雪が舞い降り、街を真っ白に飾り立てていきます。 道を行き交う人々はみな楽しげで、きれいに包装された箱を持っている人もいます。きっと、家で帰りを待ちわびている家族がいるのでしょう。 そして、家々は燦々と輝く豆電球で飾り立てられ、この日を祝う準備が整っています。 子供たちはサンタさんがくれるプレゼントを楽しみにしてなかなか寝つけません。お父さんもお母さんも、そんな我が子の姿を微笑みながら見守っています。 クリスマス! 野原を駆け回っている犬たちも、炬燵の上でまるくなっているたちも、みんなこの日を祝福しているようです。 一年でもっとも幸せに満ちた素晴らしいこの日をさらに盛り上げるために、みなさんにささやかな贈り物をご用意しました。 さあ、みなさん、ご一緒に! メリークリスマス! 利用上の注意 下表は文部科学省が実施している学校基調査の結果データをもと

    クリスマス特別企画:全国不登校児童生徒ランキング2006 - 一本足の蛸
  • 「キャラ萌え」にみる「キャラ」と「作品」の関係 - 一本足の蛸

    「キャラ萌え」は作品の一要素ではないの続き。まだきちんと煮詰まった考えではないのだが、筋道立てて整理する前に忘れてしまう恐れがあるので、まずは思いつきを書き記しておくことにした。 Something Orange - 「キャラ」を見ずに「作品」を語るひとたち。*1では、「キャラ」が「作品」の一要素であるという主張を明確に打ち出している。この主張そのものには大きな問題はない、と前回の記事を書いたとき*2には考えていた。だが、「キャラ」が「作品」の一要素であるということは、海燕氏がいうほど自明なことではないのではないか。 「キャラ萌え」というのは、読んで字の如く「キャラ」に「萌え」るということだ。「萌え」については諸説分かれるが、少なくとも萌え対象について著しい関心を抱くという態度であることには異存がない。「属性萌え」は何らかの「属性」について他の要素とは違った特別な関心を寄せることだし、「シ

    「キャラ萌え」にみる「キャラ」と「作品」の関係 - 一本足の蛸
  • 「キャラ萌え」は作品の一要素ではない - 一本足の蛸

    しかし、ぼくにいわせれば、「キャラ萌え」を「抑圧」している時点で、「トータル」で作品を見る見方は阻害されているのである。 つまり、「キャラ萌え」とは作品の一要素なのだから、それを作品から排除してしまった時点で、既に「トータル」で作品を見れなくなっているのではないか。海燕氏の見解に反して、「キャラ萌え」が作品の一要素ではないことは確かだ。もちろん作品の全要素だと言いたいわけではない。「キャラ萌え」はそもそも作品の要素ではない*1。作品の要素であるところの「キャラ」に読者なり観客なりが萌える、それが「キャラ萌え」なのだから。 いま引用した箇所の少し前で海燕氏は次のように言っている。 しかし、考えてみれば「キャラ」とはどこまでもいっても「作品」の一要素なのであり、「キャラ」と「作品」をこのように対置させることはおかしいようにも思われる。「キャラ」が作品の一要素であるという主張じたいにも疑問を投げ

    「キャラ萌え」は作品の一要素ではない - 一本足の蛸
  • 消費者物価指数からアニメの予算・制作費を語る - 一本足の蛸

    アルファルファモザイクより「アニメの予算・制作費を語る」 なんとなく思いついたので突発的にこんな表を作ってみた。 年 タイトル 予算 CPI 2005年換算 1941 スーパーマン 40万円 … … 1962 鉄腕アトム 210万円 21.4 981万3084円 1963 鉄人28号 120万円 23.1 519万4805円 1965 スーパージェッター 230万円 25.5 901万9608円 1966 Marvel Superheroes 648万円 26.8 2417万9104円 1974 Shazam! 2050万円 51.3 3996万1014円 1982 マクロス 550万円 84.7 649万3506円 1987 わんぱくダック夢冒険 4350万円 90.2 4822万6164円 1988 銀河英雄伝説 1000万円 90.7 1102万5358円 1989 トップをねらえ

    消費者物価指数からアニメの予算・制作費を語る - 一本足の蛸
  • 理屈では説明できないこと - 一本足の蛸

    「世の中には理屈では説明できないことがあるんだ」と言う人がいる。それはそうかもしれない。ただ、それを理屈で説明した試みは寡聞にして知らない。そして、「『世の中には理屈では説明できないことがある』という主張はことさら理屈で説明するまでもなく自明だ」という主張には与しない。きっと、そんな人は「理屈で説明できないこと」と「理屈で説明されていないこと」を混同しているのだろう。 ある事柄が理屈では説明されていないとしても、それはたまたま誰も説明を試みなかったからかもしれないし、試みたが難しくて頓挫したからかもしれない。いずれにせよ、理屈で説明できないという事態とは別物だ。 だが、途方もなく困難な事柄と、原理的に不可能な事柄は、人間の実際の活動においては区別する必要がないことなのかもしれない。人間は有限な存在者であり、その限界のもとでは、一定水準以上に困難な事柄は不可能な事柄と同一視できると考えられる

    理屈では説明できないこと - 一本足の蛸
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