ロリー・スチュアート(参照)の著書の書評を読んでいて、この名前に何度かぶつかった。wikipediaのエントリを読むとすさまじい経歴の持ち主だったので、そこから簡単にまとめておく。日本語で言及しているページは見あたらなかったが、たぶん一部では有名なんだろう。 フィッツロイ・マクリーン サー・フィッツロイ・マクリーン(1911-1996)はスコットランドの外交官、兵士、冒険家、作家、政治家。イートン校、ケンブリッジ大を卒業すると、イギリス外交部に加わる。 当初、パリのイギリス大使館に配属されるが、退屈な仕事に嫌気が差し、モスクワへの転属を願い出る。マクリーンは39年末までモスクワに留まり、スターリンの大粛清の真っ只中に居合わせ、ブハーリンその他ロシアの大革命家の最期を知る。また、NKVDの追跡を振り切って、列車や徒歩でソヴィエト中央アジアへ入り込んでいる。 第二次世界大戦が始まると、マクリー
遅ればせながらSFマガジン7月号に掲載された宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』を読んだ。第1回ということであまり詳しい内容ではなかったけれど、この連載は「いつまでも東浩紀や、彼に影響を受けた言説に支配されているようではどうしようもない。もっと多様性に富んだ批評がなければ、ゼロ年代以降の想像力が衰弱してしまう」ということを主張したいのだろう、つまりそれが宇野常寛の危惧していることなんだろうと考えている。俺はこれを正しいと思っていて、つまりは新しい作品群にもっと光を当てなければ新しい想像力が認められないまま、それこそ失われてしまうのではないかとは感じる。 だからこそ、彼はあえて挑発的な言葉を使ってこちら側に語りかけてきているんだろう。宇野常寛は、読者が動くことを期待している。ムーヴ、ムーヴ、ムーヴ。もちろん『ゼロ年代の想像力』をそのまま肯定しても構わないのだろうけれど、彼の意図としては、この疑問の
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