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2008年12月27日のブックマーク (2件)

  • オメラスから歩み去る者たち

    燕たちを飛び立たせる鐘の響きとともに、海辺に輝かしくそびえ立つオメラスの街に初夏の祭りがやって来た。港に係留されたボートの索具は旗で飾られている。赤い屋根と彩られた壁の家々のあいだの路地を抜け、古く苔むした庭園や並木道の通りを抜け、大きな公園や公共建築のそばを過ぎて、人々のパレードが進んでいく。折り目正しい人々――藤色と灰色の格式ばった長衣をまとった老人、真面目な熟練工、赤子を抱いて歩きながら他愛のない言葉を交わす物静かだが朗らかな表情の婦人たち。 別の通りでは音楽のリズムはより速く、銅鑼とタンバリンとがきらめき、人々は踊り始める。行進はダンスとなる。 子供たちはパレードの内外を跳ねまわる。彼らの高い叫び声は、楽器の音色と歌唱の響きのあいだを横切りながら飛んでいく燕のようだ。すべてのパレードが街の北へと向かう。そこはグリーンフィールズと呼ばれる、広大で湿った牧草地だ。澄んだ空気のなかを裸の

  • 「他人は他人、自分は自分」か? - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■だれでも ない あなたへ(ベジタリアンには名前がある。では、あなたは?)。 http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20081215/1229343507 「社会に埋没(まいぼつ)できる」状態に ある ひとが、名前のある少数派を 非難するとき、それはすでに個人と個人の対立などではなく、多数派が少数派を 抑圧する言論になってしまっているのです。わたしは、この非対称な関係のありかたがゆるせません。そして、その非対称性に よりかかって 少数派を 非難する 多数派が ゆるせないのです。べつに、いつもいつも そんなことをかんがえているわけではありません。けれども、やっぱり気になりますよ。 ■オメラス再訪。 http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200405.html#25_2 オメラスにおける通過儀礼の効果は、非常に強力なのだと思う。オメラ

    「他人は他人、自分は自分」か? - 過ぎ去ろうとしない過去