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*macskaと倫理に関するcrowserpentのブックマーク (6)

  • 「蔑視」と「偏見」/自衛的行為を装う「合理的な差別」に対抗するための倫理 - macska dot org

    Filed under economics, feminism, pop culture Posted on 2007/03/26 月曜日 - 00:02:38 by admin Responses are currently closed, but you can trackback from your own site. http://macska.org/article/184/trackback/ 61 Responses - “「蔑視」と「偏見」/自衛的行為を装う「合理的な差別」に対抗するための倫理” macska Says: 2007/03/26 - 17:14:59 - うわ、The New Republic 最新号に『ヤバい経済学』批判が載ってるよ。というか、レヴィット人への批判って感じじゃなくて、かれ一人だけなら許せるけど、かれの真似をしてクレバーかつ奇妙な研究をやりた

    「蔑視」と「偏見」/自衛的行為を装う「合理的な差別」に対抗するための倫理 - macska dot org
    crowserpent
    crowserpent 2010/06/07
    読み直して再ブクマ。「偏見による差別」とは、「差別することが差別を合理的にする」再帰性を持った差別構造のこと。「完全に合理的な判断」の不可能性が根本にある。/関連:http://togetter.com/li/181450
  • 交換と強盗のはなし - left over junk

    [2008-11-30:updated] 以下の文章は,macskaさんのエントリ「経済学S1/自由貿易−−「現状をよりマシにすること」と「正しさ」の違い」で述べられている見解に対して,ちょっとちがう見方を提案するために書きました. macskaさんは(架空の)強盗の例と自由貿易には「当事者双方にとってより良い結果をもたらす」という共通点があり,当事者双方の利益を理由にして自由貿易はすばらしいというなら強盗もすばらしいと言わなくてはならないのではないか,と指摘しておられます(このエントリの末尾に該当箇所を引用しています). しかしながら,ここでいう「よりよい結果」には2とおりの意味があります.macskaさんが着目しておられるのは,そのうちの一方だけのように思われます. そのことを例示するため,かんたんな架空のシナリオを2つみてみましょう. シナリオ1:アメとチョコの交換 いま,太郎くんと

    交換と強盗のはなし - left over junk
  • 射精の倫理学・膣内射精が暴力だとしたら・・ - kanjinaiのブログ

    関西倫理学会の発刊する『倫理学研究』誌に、「膣内射精性暴力論の射程:男性学から見たセクシュアリティと倫理」という論文を書いた。全文は上のリンクからどうぞ。 射精暴力論は、沼崎一郎が開拓した領域である。沼崎は論文の中で私の以前の論文を批判している。それを引き受けて、さらに展開する論文をようやく書くことができた。射精の倫理学・男性学というのは、日の男性学のオリジナルな議論なのではないかと思われる。ぜひ諸氏からの意見をお聞きしてみたい。以下、論文から抜粋。 まず、強制性を伴うと思われる膣内射精関連行為を以下の三つに分ける。 (1)「強制膣内挿入」・・・これは、女性の意に反して、男性がペニスを女性の膣に強制的に挿入することである。法律上これは強姦・レイプと呼ばれる。(法律上は挿入によって姦淫は成立し、射精の有無は問われない)。 (2)「強制膣内射精」・・・これは、女性の意に反して、男性が女性の膣

    射精の倫理学・膣内射精が暴力だとしたら・・ - kanjinaiのブログ
    crowserpent
    crowserpent 2008/06/03
    これは(権力と暴力の腑分けを含め)macska氏の方に賛成。性行為そのものの合意性と「関係の継続性」を同列に考えるのはいただけない。関連:http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20081204/1228385885
  • 重度障害児に対する「成長停止」をめぐるワシントン大学シンポジウム報告(後編) - macska dot org

    お待たせしました、「重度障害児に対する『成長停止』をめぐるワシントン大学シンポジウム報告」の後編です。以下を読む前に、必ず前編を先にお読みください。また、別ブログ *minx* [macska dot org in exile] の方にもいくつか関連したコメントを載せています。さらに、この問題について詳しく取り上げている別の日語リソースとして名川勝さんのサイト及びブログも参考になります。 さて、昼のあと最初に行なわれたパネルの主題は、対立するさまざまな利害のバランスをどう取るかについて。先のパネルでわたしが Woodrum の「自分は両親の味方である」という発言について問い詰めたときには「後で当事者間の対立する利害についてのパネルもありますから」と言われたのだけれど、残念ながら3人のパネリストのうち2人ーー看護士であり発達障害時の親としてキング郡(シアトル近郊部)Arc にも関わる J

    重度障害児に対する「成長停止」をめぐるワシントン大学シンポジウム報告(後編) - macska dot org
  • 受精卵選別によって『異常』を選ぶ親たち - *minx* [macska dot org in exile]

    やや古い記事になるけれど、HealthLawProf Blog 経由で The New York Times 紙の「 Wanting Babies Like Themselves, Some Parents Choose Genetic Defects」(12/05/2006) を読む。ろうや極度の低身長など、一般には「障害」「異常」とされる症状を持つ親が、生殖医療技術を使って意図的に同じ症状を持つ子どもを選択的に産むケースが少数ながらあるという話。 ここでいう生殖医療技術というのは着床前遺伝子診断 preimplantation genetic diagnosis のことで、受精卵が子宮に着床する前に染色体や遺伝子の以上の有無を調べるもの。中絶と違い、妊娠する前に全ては行なわれる。これは染色体異常のために妊娠の維持が難しい受精卵をあらかじめ判定するためにも使われるが、ダウン症などの「異常

    受精卵選別によって『異常』を選ぶ親たち - *minx* [macska dot org in exile]
  • 医療としての「成長停止」「生殖器摘出」とその倫理 - *minx* [macska dot org in exile]

    先月の Archives of Pediatrics and Adolescent Medicine に紹介されたケース。一般メディアではロイター通信が記事にしている。 舞台はワシントン大学病院。患者は生まれつき赤ちゃん並みの知能以上に発達しない障害を持って生まれた6歳の女の子。現時点では両親が彼女を家で育てているけれども、この先彼女が身体的に大きく成長すると親の手には負えなくなり、第三者の介護に依存するなり施設に預けるなりしなければいけなくなるおそれがある。 そうした懸念を解消するためとして、家族と相談のうえで医者は彼女に大量のエストロジェンを一時的に与えることで擬似的に第二次性徴期を通過させ、現在の体格以上に彼女が成長しないようにした。同時に子宮摘出も行なわれた。 両親は彼女をとても大切にしているとのことで、だからこそ施設や他人の手を借りずに自分たちで一生世話をしたい、そのためには彼女

    医療としての「成長停止」「生殖器摘出」とその倫理 - *minx* [macska dot org in exile]
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