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*macskaと愛に関するcrowserpentのブックマーク (4)

  • 同性間DVの取り組みから学んだ「公共的想像力」(ミーガン法 Part 6) - macska dot org

    まえのエントリでわたしが「当に性暴力を無くすためには、『自分も加害者になっていたかもしれない』という想像力を持つことが必要である」と書いたのに対し、なんばさんから個人的あるいはリベラリズムという観念的なレベルでは同意するとしつつも、現実に小児性愛やサディスティックな欲望とも無縁な「一般の善良な人」にそういう想像力を求めるのは無理ではないかというコメントがある。さらに、そのなんばさんの発言を読んだ matuwa さんも、もとからリベラリズムの立場に共感している人以外の人たちに納得させるのは難しいというコメントをしている。なんばさんの発言については先にレイ・ワイヤ&ティム・テイト著「なぜ少女ばかりねらったのか」の話題の方にコメントしてしまったけど、この話題も重要なのでもう少し考えをまとめてみる。 なんばさんの図式に入れて考えてみると、わたしは小児性愛者でもないし、サディスティックな性的欲望も

    同性間DVの取り組みから学んだ「公共的想像力」(ミーガン法 Part 6) - macska dot org
    crowserpent
    crowserpent 2008/04/30
    「自分も加害者たり得るかもしれない」という想像力の「道筋」について。
  • なぜ売春婦差別をするのか - ohnosakiko’s blog

    蔑まれる仕事 そろそろ収束しそうな感じもあるが、議論がなんか込み入ったことになっている(というか、いた。煽り満載で)。たくさんのページにリンクを張るのは大変だし、たぶん全部順番に読む人はいないだろうと思うので、議論に言及して複数のリンクを張ってあるところからチョイスさせて頂きます。 いませんよ。(Je vous en prie)‥‥発端はこのあたり(既にブログ閉鎖されました) わたしもたいがい育ちが悪いがそれに輪をかけておまえはほんとうに育ちが悪い反吐が出る。(顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える)‥‥侮蔑された元売春婦の人。この後連続して関連記事が上げられている(現在、記事は削除されている)。 他人の職業にわざわざ貴賤をつける愚かな人々。(想像力はベッドルームと路上から)‥‥上の議論について述べて反響を呼んだ記事。これから読んだ方がわかりやすいかもしれない。 売春婦を差別しないという人の欺瞞

    なぜ売春婦差別をするのか - ohnosakiko’s blog
  • macska dot org >> Blog Archive >> 「完璧な愛」が隠蔽する国際養子制度の帝国主義的歴史

    ここのところ林道義氏とのくだらないやり取りが続いてしまって、以前からの読者が離れてしまったのではないかと心配になってきたのだけれど、今回以前別ブログで少し触れたところリクエストがあった「国際養子縁組問題」について取り上げる。とはいえ、日は国内の子どもを海外に送り出すことも海外の子どもを養子として引き受けることもほとんどしていないのであまりピンと来ないかも知れないので、ハリウッド女優アンジェリーナ・ジョリーの話からはじめてみたい。以下は、少し古いのだけれど映画情報サイトの「FLIX ムービーサイト」に掲載されたジョリーの半生についての記事から引用。 【知性 国連大使としての、知性あふれる横顔】 『トゥームレイダー』の撮影で、海外ロケに行ったアンジーは、さまざまな海外の情勢に目を向けるようになります。特に彼女が興味を持ったのは、撮影でも行ったカンボジアの地。 2001年に、彼女は国連難民事務

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  • DV被害者支援を志す人はマツウラマムコ著「『二次被害』は終わらない」に絶望せよ

    サブカル路線に走った軽い記事に混じって「女性学年報」第26号に掲載されたマツウラマムコ氏の論文「『二次被害』は終わらない 『支援者』による被害者への暴力」を読む。マツウラ氏はこのブログにもたまにコメントをくださっている方で、性暴力やドメスティックバイオレンス(DV)への取り組みにおける「支援者の暴力」の問題に関してわたしと似たアプローチを取っているのだけれど、わたしが常々問題としているような「DVシェルターにおける権力構造」みたいなある意味社会設計によって解決可能な問題よりさらに奥にある解決不可能な構造的問題まで射程を伸ばしている点で評価できる。 わたしの「支援者」批判の論理は大きく2つに分けられる。1つはDVシェルターをはじめとするフェミニズム系の団体にありがちな構造上の問題であり、もう1つはそれを支えるフェミニズム発祥のイデオロギーというか「気分」だ。前者について詳しく言うと、例えばシ

    DV被害者支援を志す人はマツウラマムコ著「『二次被害』は終わらない」に絶望せよ
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