大野氏の記事へのコメントのやり取りから http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20080410/1207843401#c 「恋愛できない苦しみ」を度々味わい、「それが嵩じて非・非モテから言及されることに怒りを表す非モテ」、A氏がいるとする。 このA氏に対して、「なぜモテたいのか」と問うことを烏蛇氏は提案した。 このA氏への問いかけは「暴力的ではないか」と大野氏は指摘した。 ぼくは大野氏に賛成する。確かにこれは酷な宣告だろう。 本人が、生きている世界のこだわりの対象に「恋愛」を選んでいるのだ。 感覚的にだろうが、そういう世界に生きているのだ。 そういう世界で生きている人間に向かって、「なぜそういう判断をするのか考えろ」と言うことは暴力的だし、無責任に聞こえる。 では、人が「恋愛」に生きることは勝手でしかなくて、そういう「恋愛」にこだわることの偏りや副産物について指
独身者は、確かに気楽ではあるのですが、その独身者にも様々な状況があるので… 一概にすべての独身者が自由で楽しんで生きているというわけでもないです。 やはり人間として生まれてきたのだから、一度は男と女で愛し合ってみたい。車に乗ってドライブに行ったり、食事をしたりしてみたい。手を握ってみたい、ぎゅっと体を抱きしめてみたい。キスをしてみたい。舌を絡ませて吐息を感じてみたい。 でも皆がそれを体験しているわけではないです。 出来れば、普通のありふれた恋愛を30歳になるまでに一度は体験してみたいものです。でも、そのありふれた恋愛を一度も体験しないまま、人肌のぬくもりも知らず大人になりきってしまった独身者たちは、やはり人間としての基礎を作る「大切な心の一部」が欠けたままなのです。 既婚者の苦労も解ります。ですが独身者の孤独についても、たまには想像してみてください。そして貴方達が恋愛を謳歌していた
問題は一つしかない 「非モテの人の言っていることは概ねモテない「言い訳」と自己の「正当化」であり、自分で解決すべき問題の他への責任転嫁である」。 これが真であるか偽であるか、あるいはどれだけの割合の非モテ(を名乗る人)がそうなのかということに、私は関心がない。そんなことを議論しても意味がないと思う。 「非モテも加害者だ」というデータをいくつ集めたところで、それに反するデータは出てくるだろう。水掛け論になるだけだ。 もともと私の興味の中心は「性」(セックス、ジェンダー、セクシュアリティ)だが、「非モテ」について書いたことはブログではなかった。しかし10/13の記事の一部があるブログに引用されたことをきっかけに、たまたま議論に関わることになった。 10/26のコメント欄(07/11/20追記:復元不可能でした)のようなやりとりはおそらく、はてな界隈では何回も繰り返されてきたものだろう。「ああま
革命家の窮状 数日前から大揉めに揉めていた件について、私が主に見たのは、inumash氏の記事とそこからリンクされたところ。ようやくどういう「事件」が起こったのかは、何となくわかった。情報戦は大変というのが、とりあえずの感想。 ところで、この「事件」とは直接関係ないが、アキハバラ解放デモの前後も今回も、「革命的非モテ同盟のfurukatsu氏=中核派シンパ」説がしばしば出てくる。こういうことは、「組織」が政治や社会運動と関わる時に起こりやすいように思う。以下、ネットで革非同を観察してきた立場から書いてみる。 furukatsu氏はかなり前のブログで、在学中の法政大学に中核派の知人がおり、デモのやり方等の指南を受けたということは書いていたが、自分は中核派ではないと否定してきた。書いている内容はガチだがスタイルはネタ。周りもそう捉えていた。 日本国内に限って言えば少なくともこの二十年以上、左翼
先日書いた記事の続きです、というか、要するに「恋愛資本主義史三部作」(1・2・3)の更に続きというべきか。 今回はその補足の2、として、jこれらの問題に積極的に発言しておられる大野氏のブログの、コメント欄で展開された素朴な疑問氏との議論について、小生の三部作のうち2・3をご紹介いただいたこともあるので、この議論を拝読して小生が思ったこと、およびまとめとしてこの「非モテ」「恋愛資本主義」に関する小生のスタンスを闡明にしたいと思います。 で、以前小生はラーゲリ緒方氏に「長い意見を書くなら最初に結論を示せ」といわれたので、最初に結論、つまり小生が「非モテ」という話題に関し如何なる関心を抱いているかということを簡潔に述べたいと思います。 端的に言えば、小生は「非モテ」そのものにはあまり関心がないということです。 小生が関心があるのは、近代経済史の一環としての「恋愛資本主義」であり、そしてこのことは
昨日の続きのようなこと、を書くつもりです。 さて、本日12月16日というのは、日本史上有名なある悲劇的な事件が起こった日であります。 それは今から74年前の1932(昭和7)年の12月16日のことでした。 その日の午前9時15分、東京は日本橋の百貨店・白木屋4階玩具売場より出火、4階以上を焼き尽くすという大火災が発生し、14名の犠牲者が出ました。うち13名は店員で、1名が問屋関係者でした。店員のうち8人が女性(名前を見る限りでは)で、5人は十代でした。彼女たちは7階大食堂で働いていたのでした。 この火災の時に、女性の店員が逃げ遅れて亡くなったのは、下穿きをつけていなかったので逃げる際に下から見られることを恥じたからであった、だからその後日本の女性にズロースが普及した、という俗説がありますが、これが都市伝説であることは、井上章一『パンツが見える。』によって解明されています。 おそらくこの火災
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く