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2007年2月22日のブックマーク (6件)

  • くるさりんど - 中絶をすれば良いという考え方は女性を傷つけるだけ

    中絶関連の話題は1エントリだけにしようと思っていたのですが、もう一度だけ、これをもって最後に。 私が不思議で仕方がないのは、私がむしろ女性保護の観点から書いている文章に対して、女性の反発が多いことです。 そして、どうして「きちんとした避妊」をすっ飛ばして、いきなり理由もなくお腹に子供がいたかのような話になってしまうのか? ブックマークコメントより  想像力はベッドルームと路上から - 『女性が「中絶」を選ぶのは「シングルマザー」に対する手当てが足りないから』 2007年02月22日 aliliput  とりあえず中絶が権利じゃないとか言っている人は何wwwじゃあ胎児やるからお前が産めよ 何故「産めよ」となってしまうのか? 私が書いている記事を読めば、「中絶は権利ではない」に対して、私は「産め」と言っているのではなく、「きちんと避妊しろ」と言っているのは明らかです。これは読めばわかる。 これ

    くるさりんど - 中絶をすれば良いという考え方は女性を傷つけるだけ
    crowserpent
    crowserpent 2007/02/22
    「中絶の権利」の概念は「中絶をすれば良いという考え方」ではないですよ。これを混同しちゃうのはかなりマズい。/コメントしました。
  • サントリー学芸賞の鉄道本略論 番外(3) ~鉄道と女性・阪急篇~ | 筆不精者の雑彙

    一昨日、昨日の記事の続きです。今日で完結のはず。 というわけで、ここまで二回に渡って原武史氏の鉄道と女性の関連についての所説に批判を加えてきました。その大きな論点ふたつのうち、1点目はこれまでに説明しましたので、今日の記事では2点目の論点、すなわち「小林(一三)は、文化事業では女性を取り込もうとしたが、肝心の輸送事業で女性を積極的に採用することはしなかった」理由を考えてみよう、というものです。 小生はこれまで、当ブログにおいて阪急に関する記事を幾つか書きました。それをお読みいただければ、これから小生が書こうとしていることはお察しいただけようかと思います。過去の記事を以下にリンク。 ・近代家族幻想と電鉄会社との日的関係性 ・阪急堂名物10銭ライスカレーの肉はどこから仕入れたのか これだけで終わりにすると楽なのですが、それは流石に手抜きなので以下に敷衍して述べます。 で、上記の記事で書いた

    サントリー学芸賞の鉄道本略論 番外(3) ~鉄道と女性・阪急篇~ | 筆不精者の雑彙
    crowserpent
    crowserpent 2007/02/22
    鉄道経営にみる資本主義と近代家族イデオロギーの関係
  • 腐女子が理解されたくない理由

    キモイことを充分知っているから。認められたくない。認められるべきではない。自分でも認めたくない。だから理解してもらいたくはない。上記の強い罪悪感から、腐女子という言葉はそこに属していることを示すものではなくて、自分自身で選び取った呼称だと感じている。あくまで個人腐営業主。語れるのは自分の経営のみ。同じ腐女子を標榜していても一人一人の萌えの振幅は大きく、自分には決して理解できない腐もいるということを経験的に知っている。長くやっていると前ジャンルの作家が現ジャンルの敵だったりすることもある。逆もある。友人とももめた。だから自分のことは語っても、絶対に理解できない同胞を尊重し、総体としては語らない傾向がある。恐らく不毛なカップリング闘争とか、長い時間を経て成熟してきた「萌えに貴賎はない」「萌え萎えは人それぞれ」という文化にも由来するのだと思う。オタクオタクを(多分)理解するが、腐女子腐女子

    腐女子が理解されたくない理由
  • 「恣意的な判断で決め付けて評価する、と言う暴力」に対するコメント - 出られないから仕方なくここにいるよ。

    すみません、あのエントリは独りで勝手に語っていれば良いのに、わざわざトラックバックを打つのは厚かましいなと思いました。そして「そうは言ってないよ」と感じた部分もあるけれど、守るものがある人は大変なのかなと。多分ものすごくズレているし、わざわざこれを読むとも思えないけれど感じた事を書きます。ネットで自分が目にする殆どはドラマチックに救われる女性とそれを一緒に喜ぶ人たちと「甘えるな」と叩かれ続ける男性だけども、性別がどちらの場合でも運の良いケースも悪いケースもあるのは判ります。ただ「これと同じケースで例えば人が不細工な男だったら一生救われないだろうな」とか、逆に「もしこれが女性なら……」と感じる事がとても多くて、それがどうにかなるとは思っていないけれど、そういう部分から目を逸らせたまま美談を受け入れる事や受け入れる人たちに抵抗があるというか、そんな気持ちが高まってあのエントリを書いた記憶があ

    crowserpent
    crowserpent 2007/02/22
    自己の存在を過小評価することで、自身の加害性に鈍感になり得ることの例。
  • 中絶議論ブームに感じる違和感 - はてな匿名ダイアリー

    中絶に関しての議論が盛り上がってるけど、ピントがずれてると思うんだよね。 大きく2個ほど、いまいち分かんない部分がある。 「誰との間に子供が出来たか?」っていう前提条件を話さずに議論してるから意味分かんない。 例えば、月に2回ぐらい会ってデートしてセックスする人。 別に付き合うわけでもなく、何となく定期的に会ってるだけ。カテゴライズするとセフレ。 そんなシチュエーションを想定してみる。 もちろんセックスしてるから、ある一定の確率では妊娠する訳じゃん。 そこで『シングルマザーに対する手当てが足りない』とか、 『妊娠した場合には産んで育てるという両性の意思確認こそが、セックスをしてもいい権利』とかって なんか、全然違う気がするじゃないすか。 別にそもそも、その人との間に子供が欲しいとか微塵も思ってない。 中絶するのは前提条件として、男の態度が問われるよね。みたいな話で。 お前らは、そんなに品行

    中絶議論ブームに感じる違和感 - はてな匿名ダイアリー
    crowserpent
    crowserpent 2007/02/22
    実際「そんなに品行方正な世界」に生きてる人達はいっぱい居るわけです。性に関する感覚のすり合わせは意外と厄介。
  •  セックスをしてもいい条件 - 力士の小躍り

    ということで題に戻りまして、先日の話の続きです。 「自己決定権」の立場からは、必然的に、セックスをしても良いという条件は、「絶対に妊娠しない場合」、もしくは、「子供が生まれても良い場合」、の二つしかないことになります。 結果的に育てさえすれば良いわけなんですが、今のところ、完全に近い避妊法はあっても、完全な避妊法はありません。 もの凄く低い可能性ながらも、もし妊娠したら育てようか、という覚悟もないのにセックスしてはいけません、ということになるわけで、多くの場合、一緒に育てるということは、家族を形成するということです。 つまり、「自己決定権」の行使によるセックスをする権利とは、「妊娠したときには家族を形成するとき」、という条件に限られるわけです。 現状の大勢を占めている価値観とは大きく隔たってますよね。 現状は「親密性パラダイム」が、セックスをしてもいい条件となっています。 「愛がなければ

     セックスをしてもいい条件 - 力士の小躍り