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2007年6月18日のブックマーク (4件)

  • ファッションの脱オタはなんで面白くなさそうなのか?

    今さら感ありまくりだけど脱オタについて 結論だけ先に言っちゃいます。 女はともかく男のファッションてのはけっこう幅がせまい。 格好というか価値観がほぼ一つだから、 その価値観のなかで優れているか劣っているかの優劣ゲームになっちゃう。 だから、その価値観に合わない、のれない人にはファッションつまんねー、だるいとなっちゃう。 だから脱オタする人は、ほどほど服に手間とお金をかけてそれ以上はやるべきじゃあないと。 (ほどほどの具体的な内容?それは他の人任せ) 今日服を買いにでかけたんだけど、お目当ての品は大はやりのポロシャツではなく ノースリーブのTシャツと半そでのブルゾンというすごいマイナーなアイテム。 で、案の定どこにも売ってませんでした、ぢくしょー! で、買い物して気づいたんだけど、ほとんどのお店は似たような型の服しか 置いてなかったんだよねー、ポロシャツとか半袖シャツとかVネックのTシャツ

    ファッションの脱オタはなんで面白くなさそうなのか?
  • (その1) 美しい国の無責任の伝統――「慰安婦」国家関与否定と「権限への逃避」について - (元)登校拒否系

    A: 日の右翼がアメリカの新聞に意見広告を出したんだって。 B: え? 何の話? A: コレだよコレ↓。 「慰安婦強制の文書ない」 日の国会議員ら米紙に広告 従軍慰安婦問題をめぐり、日の国会議員有志や言論人らが14日付の米紙ワシントン・ポストに「旧日軍によって強制的に従軍慰安婦にされたことを示す文書は見つかっていない」と訴える全面広告を出した。 島村宜伸元農水相、河村たかし氏ら自民、民主両党の国会議員ら計44人のほか、ジャーナリストの桜井よしこ氏、岡崎久彦・元駐タイ大使らが名を連ねている。4月下旬の安倍首相の訪米に合わせ、韓国人団体が同紙に「従軍慰安婦の真実」と題した全面広告を出したのに対抗し、「事実」という見出しをつけた。 広告では、旧日軍の強制を示す文書がないと主張し、逆に「強制しないよう民間業者に警告する文書が多く見つかっている」と訴えた。インドネシアで一部の部隊が強制的に

    (その1) 美しい国の無責任の伝統――「慰安婦」国家関与否定と「権限への逃避」について - (元)登校拒否系
    crowserpent
    crowserpent 2007/06/18
    慰安婦問題についての右翼側の主張の穴と、そこから見えてくる大日本帝国時代の「無責任体制」について。
  • 自然科学とリベラルアーツの統合:このままでは無理 - G★RDIAS

    「"自然科学"と"リベラル・アーツ"を 統合する会」というものが、多田富雄先生によって設立されたというのを新聞で読んで、そのサイトを訪れてみた。 http://www.insla.jp/ 多田先生はかつてNHKで対談させてもらったこともあるし、共著もあるしで、たいへんお世話になっている偉い先生である。この会の賛同人・実行委員会のメンバーも、多田先生の豊富な人脈のおかげで壮絶なメンバーが集まっている。このプロジェクトはいわゆる理系と文系の統合・融合を目指すものだ。その討論などの活動はすべてネットで行なうとされている。 はっきり言わせてください。無理です。まず賛同人・実行委員会の偉い先生方はネット時代以前の方々で、ウェブのことをたぶん肌で分かってない。その証拠に、上記のオフィシャルサイト、ありえんぐらいダサい。レイアウトもむちゃくちゃだし、PDFが散らばっているし、インタラクティブになってない

    自然科学とリベラルアーツの統合:このままでは無理 - G★RDIAS
    crowserpent
    crowserpent 2007/06/18
    ↓sivad氏に同意。包括的にやりたいなら「なぜ、どのような場合に統合が必要なのか」が問われねばならない。学問の細分化は何の理由もなく起こったわけじゃない。
  • 読まれるという奇蹟 (セックスなんてくそくらえ)

    どんなブログにも、最初の読者というものはいる。 一日数千のアクセスが普通になってしまったブロガーにも、忘れがたい読者というものはいるだろう。私にとっても最初の読者というものがいたし、その人は忘れることのできない記憶としてある。 男が童貞を捨てた相手を忘れられないように--余談だが、女とは処女を捨てた相手をすぐに忘れることができる生き物だ--ブロガーにとって、最初にそのブログが読まれた体験、言葉が届いた体験というものは、忘れがたいものである。 エントリというものは文章がそこに置かれているだけで価値がでるものではない。例をあげれば、たとえばあなたの部屋には、読んでもいないが山となって積まれてはいないか。 そのはあなたが偶然手にとって読み、そこにあなたのために書かれた一文を発見したとき、初めて価値あるものとして光を放つのである。 読むということはそういうことではないか? それは一度限りのかけ

    crowserpent
    crowserpent 2007/06/18
    「私たちは読むということが21世紀においてどのような意味を持つのか、自分たちの手でゼロから考えなければならなくなった。」