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2009年3月17日のブックマーク (6件)

  • 腐女子は同調圧力が凄い、ねぇ…

    http://d.hatena.ne.jp/natsu_san/20090315 http://d.hatena.ne.jp/simayan/20090317/p1 ニコニコのこれを、そんなあっさり「女性の同調圧力、以上!」てなことにされても困る。 まるで「男性は全然キニシナイのに女性が勝手に気にしてる」みたいな感じだけど、それ違うよ。 はてな近辺じゃ、結構「腐女子」は受けてて、寧ろ「腐女子って萌える!」みたいなことにも(それはそれでどうよと思うけど)なってるみたいだけど、2ch・ニコニコ周辺の文化では、「腐女子=存在が既に罪」くらいのバッシングが基っていう背景を理解してるのかなぁと。「801ちゃん」とか出版される一方、2chあたりでは同時に「腐女子なんてクズ、なんでいるの?」「なんで腐女子は女なのに、少年漫画を読むの?そんな権利なんてない!出て行け!」て、そういう事を立ち読み男が金払っ

    腐女子は同調圧力が凄い、ねぇ…
  • 【2ch】ニュー速クオリティ:彼女とH無しでも付き合っていける男っているの?

    13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/01/16(水) 01:27:11.39 ID:vDF/TJQv0

  • 押して、押して、押し倒されろ! - FC2 BLOG パスワード認証

    管理人からのメッセージ 過去ログは随時noteへ移行していきます。今後ともよろしくお願いいたします。 https://note.mu/yu_ichikawa/

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    crowserpent
    crowserpent 2009/03/17
    「カムアウトは一方が『自分は同性愛者です』という事実を告げるだけでは終わりではない」
  • 校則という暴力 - uNDer thE mOon

    のだださんとこより 丸坊主ももちろんの事、制服も同じです。性別によってあるべき服装や髪型を規定する ことは、すなわち「人類男女のどちらかしか存在しない」信仰であり、アタシのような 女性男性どちらでもない人を全否定する事に他なりません。だからしてはいけません。 まったくもってその通り。ブコメでも書いたけど、その通りとしか言いようがない。この感覚は、恐らく性的にマイノリティになったことのない者にはほんとうに理解の難しいものだと思う。  しかしながら、私は男性扱いされることを拒めません。なぜなら、拒めばよりヒドい仕 打ちが待ってることは明らかだからです。だからむしろ自主的に男性の振りをしなけれ ばなりません。 そう、音を言えばバカにされ罵られ笑われ、時には暴力を振るわれても不思議はない のです。「オカマwww」。こう笑う人がどれほど恐ろしい事をしでかせるのか、皆さ んも知らない訳ではないでしょ

    crowserpent
    crowserpent 2009/03/17
    外見と性別に関する規範は絶望的に強固で、それゆえ見えにくく気付かれにくい。
  • macska dot org 差別についての、ごく基本的な考え

    最近別ブログ *minx* のほうで関わった論争に関連して、差別についてのわたしの基的な考えを明らかにしておく必要があると思ったので簡単にまとめてみます。ていうか、以下に書くことはほとんど以前某掲示板で書いたことの再掲なので、お馴染みの読者もいるはず。ただし、最近の論争もそうなのだけれど、差別について議論する際に常にわたしがここで書く通りの意味で「差別」という言葉を使っているわけではない(相手がある議論では、相手に定義を合わせることもある)ので、そのあたりは分かってね。 まず差別という語を goo を通して『大辞林』で調べてみると以下のように書いてあった。 (1)ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。 「いづれを択ぶとも、さしたる—なし/十和田湖(桂月)」 (2)偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また

    macska dot org 差別についての、ごく基本的な考え
    crowserpent
    crowserpent 2009/03/17
    差別とは個人的な感情や偏見ではなく構造の問題である、ということの丁寧な解説。改めてブクマ。
  • 差別は自然な感情だからこそ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    なくしたいなら教育や啓蒙によって差別心を矯正するしかない。 およそ素朴な差別心というのは「差異」に対する違和から発するんだろうと思う。侮蔑からくる差別も畏怖からくる差別も、ある域値を超えた「差異」からくるという点では変わらない。そして、その域値にはかなりの個人差がある。たとえば、限りなく域値が小さい人は、一般的な意味での差別は不可能である。何故なら、そもそもすべての人間に違和を感じるはずだからである。全員が差別対象ということになれば差別のしようがない。実は、この状態は域値が無限に大きいというのとほとんど同義である。そして、域値を大きくすることは、おそらく教育によって可能である。 域値をできる限り大きくしてやることで、否応なく差異を受け入れさせる。そう考えたとき、来あるべき「みんな」の差異を必要以上に平板化したり隠蔽したりすることは、明らかに逆効果である。当はまったく違うはずの「みんな」

    crowserpent
    crowserpent 2009/03/17
    「生物学的な性別」などといった固定的な線引きが可能という認識そのものが、差別の構造を生んでいる。参照:http://macska.org/article/183 , http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20090312