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ブックマーク / diary.lylyco.com (10)

  • 「女は共感脳」に共感し合う男たちを見て思うこと|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    女性脳、男性脳なんてものが当にあるのかどうか、ぼくは知らないし興味もない。たとえば職場の愚痴をこぼす共働きのに正論で答える夫、というようなシチュエーションで主に「男性脳」を否定的な文脈で扱うのがイマドキのように思う。いわく、彼女は業務改善の相談をしているわけではないのだから、誰でも思いつくような解決策を上から目線で講釈したり、あまつさえそりゃあ君にも非があるねなどと冷静な意見をいったりするのは間違っている。それは大変だったね、君の気持はよくわかる、そりゃあクライアントが酷いね…とまあ、ひと通りの共感を示しつつ膿を吐き出させてあげるのが正解だろう、というわけである。 ぼくとしても、この結論自体に異論はない。 愚痴に正論とは野暮の極みである。定番の「あるあるネタ」といってもいい。ただ、そこに「男女の脳の違いによるすれ違いだ」という説明が付くことには大いに違和感がある。女性は共感脳、男性は解

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    crowserpent 2013/04/12
    「上の一件だけを見れば、『あっている』気がするかもしれない。『あっている』事例だけを取り上げているのだから当たり前」
  • 差別は自然な感情だからこそ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    なくしたいなら教育や啓蒙によって差別心を矯正するしかない。 およそ素朴な差別心というのは「差異」に対する違和から発するんだろうと思う。侮蔑からくる差別も畏怖からくる差別も、ある域値を超えた「差異」からくるという点では変わらない。そして、その域値にはかなりの個人差がある。たとえば、限りなく域値が小さい人は、一般的な意味での差別は不可能である。何故なら、そもそもすべての人間に違和を感じるはずだからである。全員が差別対象ということになれば差別のしようがない。実は、この状態は域値が無限に大きいというのとほとんど同義である。そして、域値を大きくすることは、おそらく教育によって可能である。 域値をできる限り大きくしてやることで、否応なく差異を受け入れさせる。そう考えたとき、来あるべき「みんな」の差異を必要以上に平板化したり隠蔽したりすることは、明らかに逆効果である。当はまったく違うはずの「みんな」

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    crowserpent 2009/03/17
    「生物学的な性別」などといった固定的な線引きが可能という認識そのものが、差別の構造を生んでいる。参照:http://macska.org/article/183 , http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20090312
  • オンライン上で友だちを作るあまりにも簡単な方法|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    実のところ、友だちとは「なる」ものではなく「思う」ものである。 ・オンライン上で友達が欲しいと、思い続けて早幾年 だから、この匿名氏は「友だちができない」のではない。オンラインで関係した人を「友だちと思えない」だけのことである。匿名氏が友だちだと思えていないオンライン上の誰かは、匿名氏のことを友だちだと思っているかもしれない。友だちとはそういうものだ。もちろん、互いに「友だち同士」だと認識し合っているケースもあろう。が、それとて「友だち」を同じように定義している保証はない。ある人は「一度でもタメ口を利いた人は誰でも友だちだ」と思っているかもしれないし、ある人は「休みの日に1対1で遊んだ人はみんな友だちだ」と思っているかもしれない。 このくらいのことは、多くの人が一度くらいは考えたことがあると思う。そして、自分が現実に友だちだと思っている人を何人か思い浮かべてみれば、無意識に自分が定義してき

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    crowserpent 2009/02/24
    「恋愛という形式」にも部分的には通じる話。「何が異なるのか」を考えてみるともっと面白いかも。
  • 恋愛には確実に向き不向きがある|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    バレンタインの日にあえて記す。──ぼくは決定的に恋愛が苦手だ。 理由は簡単である。恋愛はあらゆる自己嫌悪の源泉だからである。恋愛らしきものをしているとき、ぼくは自分を醜いと思わない日はない。いや、完全に舞い上がって「オレ超ハッピー!」って瞬間はある。むしろ、それが問題なのである。そんな自分を次の瞬間自覚して厭な汗をかく。気が滅入る。たとえば誰かを好きになったとき、その誰かと仲良くなる過程は異常に愉快である。けれども、同時に自分がいかに姑息で打算的な人間かを思い知らされる。ぼくは自分が相手を気持ちよくさせるとき、それは自分が気持ちよくなりたいためだと知っている。極めて不愉快な自覚である。 青春時代のぼくにとって言葉といえば活字が中心だった。完全に話し言葉を蔑ろにして生きていた。日常会話が半文語体になるくらい軽妙さに欠ける人間だったのである。気のおけない友人たちはそんなぼくでも「少し変わってい

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    crowserpent 2009/02/15
    衒いなく自己陶酔できない人にとって、「恋愛」は結構しんどい。
  • 性的欲望の対象になることが怖いのは何故か?|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    昨日のエントリーで迷った末に触れなかったことがある。 ・年齢も性別も超えたエロ先進社会、或いは、ロリコンの解放|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記 ・はてなブックマーク - 年齢も性別も超えたエロ先進社会、或いは、ロリコンの解放|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記 それがブックマークコメントで指摘されていた。lisagasu氏のコメントで「欲望の主体であることに慣れすぎ、客体になる感覚がわかってない。性的欲望の対象になるのは恥ずかしいんじゃなくて怖いんだよ。だからトラウマになりやすいのに。」というものだ。実は、前回エントリーの公開前の段階ではこの点にも触れていたのだけれど、論点が広がりすぎるのを避けるためパラグラフごと削除してしまった。敢えて書かずともそうした問題まで包括した内容になっている、と自ら過信していたところもある。やっぱり、説明

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    crowserpent 2008/12/21
    「社会的抑圧さえなければ性的視線は怖くないはずだ」という理屈は、「欲望を向けられること」一般のリスクや恐怖を無視してると思う。
  • 成果主義を推進する政治は政治ではない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ぼくが麻生首相の医療費発言を問題だと思うのは、それが政治の放棄を意味するからだ。 こうした福祉に絡む話題で、自己責任論が飛び出すたびに不思議に思う。ぼくはいわゆるネットサヨク的な言説にさほど共感はできない。けれども、「不幸な状態にある人」を自己責任という言葉で切り捨てようとする態度には酷く違和感を覚える。何故ならぼくは、国家をはじめとする共同体の存在意義は、「いかに不幸を減らすか」にあると考えているからだ。そうでなくては、共同体の意味がない。「運や実力に恵まれた人はそれに見合った利益を手にし、そうでない人はそれなりの人生を送るのが当然だ」…これは端的にいって政治の否定だ。まるっきり野生のルールである。 この野生のルールは、今の社会では資主義という形で限定的に運用されている。これは競争原理が共同体全体の利益を底上げするという信念に基づいた選択だろう。会社単位にまで話を縮小すれば「成果主義」

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    crowserpent 2008/11/29
    「『実力主義』を推し進めることは、共同体の存在意義を捨てていくことを意味する」
  • 本当のことをいうと「告白」は邪道|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    別に、報われない努力をすることは悪いことではない。 ・非モテは行動力がないとよくいわれるので 少なくとも「努力しても無駄だから」と努力しないよりは、希望が叶う可能性は高まる。もちろん、希望が叶わないことを受け入れるなら、努力しないという選択肢もある。要するに、自分にとって努力に値する希望なり欲望かどうか、というだけの話だ。リンク先の人には異性と付き合いたいという欲望がある。だから、努力を始めた。極めて妥当な選択だと思う。あきらめるかどうかは、その欲望と努力を天秤にかけて、重い方の声に従って決めていくしかない。欲望が勝るうちは努力し続ける。努力抜きに手に入らないなら、それは支払わざるを得ないコストと割り切るよりないだろう。 そういう前提で話を進める。そして、いきなり要点からいこう。「告白」を「自分の気持ちを伝える」ために使ってはいけない。特定の誰かと付き合う。それは一般に結構なリスクを伴う。

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    crowserpent 2008/11/26
    概ね同意できるんだけど、「恋愛という形式」を担保にした恋愛関係も実際にあるよ。「誰にでも可能なわけではない」にしても。
  • すべての非モテは恋愛強者である|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    そもそも、恋愛に相手は要らない。相手に左右される恋愛など不純ですらある。 今更な話かもしれない。が、ともかくすべての恋愛は独り相撲である。だから「最高の恋愛は片想い」なんてことがいわれる。或いは、「恋する自分に恋する」だとか。要するに、恋愛とはそういう娯楽なのである。悪い意味でいっているのではない。妄想力さえあれば誰でも参加可能な素晴らしい娯楽だとさえ思う。そんなことはない、非モテは辛いのだ。そう思う向きもあるかもしれない。そう、辛い。むしろ、それこそが恋愛丸である。いや、幸せな恋愛というのもあっていい。けれども、より娯楽性が高いのは辛い恋なのだ。恋愛物語の傑作は失恋の物語と決まっている。 合コンで知り合って、なんとなく付き合ってはしっくりこずに別れる。そんなことを繰り返すリア充は恋愛弱者である。彼らの別れは失恋ではない。そこには胸を裂くような慟哭も、涙を涸らすカタルシスもない。失って

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    crowserpent 2008/11/15
    根本的な部分で同意しかねるんだけど、面白い視点ではあると思う。榎本ナリコの「センチメントの季節」7巻を連想した。
  • 恋愛のきっかけにグダグダとこだわる不毛|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「特定の誰かが好き」ではなく「彼女が欲しい」と思うことはそんなに深刻なことか? ・彼女がいる人に質問です。 彼女が欲しいです。 彼女が欲しいが、作れない人が 足りないことは何でしょうか。 具体的、現実的に詳しくお願いします。 その回答を参考にすれ.. - 人力検索はてな ・「彼女がいない」より、「惚れない」ことのほうが深刻なのでは? - シロクマの屑籠(汎適所属) そんなもの今も昔も普通に決まっている。若者が持て余すものといえば、性欲に承認欲求と相場は決まっている。彼女が欲しいというのは、単にそれら二大欲求をまとめて満たしたいというだけのことだ。眠いときに寝たいと思うくらい自然な話である。しかも、この場合の承認は彼女からのみならず、世間からの承認まで期待できる。独りでモンモンとしている人間にとって、二人称の承認と三人称の承認の同時獲得は、最大の心の健康ともいうべき一人称の承認、つまり自己肯

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    crowserpent 2008/09/09
    意外といいとこ突いてる感じがする。とりあえず:http://d.hatena.ne.jp/crowserpent/20070922
  • モテより優先順位の高いものとは何か?|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    女よりも3度のメシよりもゲームが好き…人がそれでいいなら何ら問題はない。 ・モテるための努力 - sakamuke07のメモ ・はてなブックマーク - モテるための努力 - sakamuke07のメモ リンク先の友人氏の言動が思慮浅薄なことは疑いようもない。一片の道理はあるかもしれないけれど、それは偶然マトモなこともいったかも、という程度のものだ。だから、あえて彼のおかしさを論うことに意味はないと思う。気になるのは非モテ側の理論と、それに対してはてブにつけられた肯定的なコメントだ。具体的には「彼女を作るための努力の優先順位が低い」という言葉に共感する価値観である。これって実はちょっと面倒な問題ではないか。野暮を承知で書く。件の非モテ氏にとって、彼女を作る努力よりも優先順位の高いものとはいったい何なんだろう。 努力というのは究極的には自分の幸せのためにするべきものだろう。何に幸せを感じるか

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